小さいころから痩せていて、体が丈夫ではなく、運動系はからきし駄目であった私が、演劇を学ぶ中で一番自分にかけていたものが、声を出すために必要な肉体が、あまりにも貧弱であるという、厳然たる事実であった。
話を戻す。二人の娘とレイさんからまだ完成して届いてはいないが、素晴らしいお誕生日のプレゼントが近日送られてくる。
それは、おおよそ8年間にわたって、書き続けている 五十鈴川だよりを本にしてくれるというものである。何冊かにはなるであろう膨大な文字数をである。打ち間違いや変換ミス、繰り返しなどそのままに。
中世夢が原を辞めなかったら、五十鈴川だよりを書くことはなかったかもしれないし、義理の息子のレイさんがいなかったら、デジタル音痴のわたしでは五十鈴川だよりは生まれなかったろう。
それと還暦を過ぎて、こころから人生を、可能ならリセットしたいと思ったこと、が大きいと、今思う。
次女からのお手紙(3人からのプレゼントの内容が記されていた) |
とくに30歳までは何度も軌道修正 した。頼るはわがひ弱な体のみであったが、何とかこの年齢まで生きながらえることができ、想えば還暦後の五十鈴川だよりを書き始めてからが、心身共にもっとも健康体であるといえるような気さえしている。
オーバーではなく、書くことで不確かな自分と対話をするように 幾分お恥ずかしい自慰的な営為なのである、という自覚がある。
自分自身の本質的なものは、なかなかに変えられないが、生き方は幾分であれ変えられるからこそ、生き延びてくることができたのだと思えるのだ。
また話は変わるが 、この6年間シェイクスピアの翻訳日本語を声に出し続けているが、想えば、健康でないと当たり前であるが声は出ないのである。
とくにシェイクスピアの言葉、長い言葉は息継ぎ、ブレス、呼吸が浅いとまず無理なのである。息を吸っては声を出し、息を吸ってはの繰り返しを 毎週水曜日の夜(以外にも)細い体で今も繰り返している私である。
きっとこれがいいのであるという気が最近している。だから五十鈴川だよりを書くことができるのである。心身が健康でなければわたくしごときの拙文も綴れない。
長くなったので 、本日はこれにて。レイさん、満智さん、萌さん、こころから感謝です。
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