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2019-02-06

今週末からお墓参りがてら帰省することにしました、そして想う。

雨の日は午前中の仕事がないので、これはこれで私にとっては実にうれしい。仕事に出掛ける妻を見送り、あれやこれやの家事を片付けてのゆとり五十鈴川だより時間が、私には今やオーバーではなく大切ないっときである。

さて、父の命日が過ぎ、急だが連休を利用して、お墓参りに帰ることにした。あさって金曜日に発ち戻りは月曜日。3泊4日の帰省旅、今回はジパングクラブを利用して列車にした。

梅が咲くこの季節、きっと門川(五十鈴川)は満開かもしれない。昨年秋は帰れなかったので、どこかしら身体がほころんで久しぶりの帰郷に、いまだ浮き立つ初老の私である。

外見的には初老男なのに、内なる我が身はお恥ずかしいほどに、いまだ時折年齢を忘れ、初老男は帰郷を目指すのである。(原発事故などで故郷を離散された方々の心中は察するに余りある)

昨年も書いたことだが、わが姉兄弟も確実に毎年毎年歳を重ねている。だから毎回これが最後の帰省になるかもしれないからと伝えている。
昨年夏の山陽新聞の記事 

幸いみんな、健康に穏やかに暮らせているし、私の帰省を喜んでくれるので私は帰省できる。関係性がギクシャクしていては、とてもでは帰れるものではない。お互いが元気でいられる今をこそ、大事に関係性を深めておきたいのである。

いまだ私の記憶にある小学校5年生までの、今は亡き実家での家族全員で過ごした時間がわが姉兄弟を、かろうじて結び付けている。

みんな貧しく苦しかったあの同居生活を共通体験しているからこそ、晩年のいま何度も再会、同じ話を繰り返すのである。私にとっては幼き日への回帰旅でもある。

五十鈴川の流れも少し変わったが、ほとんど あのころと変わらない。わが故郷宮崎は清流の宝庫である。川の幸、海の幸、山の幸、に抱かれて私は遊びほうけて私は少年時代を送った。

今つくづく、あの幼少期、少年期が私の感性のすべてを創ったことが、この年齢になるとはっきりとわかる。かけがえのない海山川。かけがえのないわが姉兄弟。

タイにいる弟ともラインで最近連絡が容易に取れるようになった。元気なうちに全員で集まりたいと、私は思っている。





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