ページ

2019-02-19

雨の日母を病院に連れてゆく朝に想う。

雨である。だからゆっくりと起きた。コーヒーを飲み洗濯物を家の中に干し、あと一年還暦までは仕事をするという妻を見送り、朝食前の五十鈴川だよりタイム、つまり至福時間である。

午前中の肉体労働は雨だとお休みだから、私にとっては恵みの雨なのである。一雨ごとに春が近づいてくるのがわかるし、春を待ちわびるあらゆる植物群の息吹のようなものが、かすかに感じられる。

ありがたいというほかはないが、世界の推移や(主にトランプに関する)、日々報道される暗い出来事 に胸の痛みを感じながらも、事我が身わが家族に関しては、ともあれ穏やかに暮らせていることに関して、私は特に双方の両親に、日々感謝している。

私は高峰秀子さんのファンである

さて、私の親は妻の母しかいない。その母を病院の定期検診に午前中連れてゆくことになっている。母は車の免許を持っていないので、どこに行くのも自転車だが、雨なので私に連れて行ってほしいと、事前連絡があったのだ。

先日も書いたが、母は過分に私のことを頼りにしてくれている。だからできる限り 母の意向に沿うように、との思いである。

私がこの年齢で、今もシェイクスピアの音読や弓の稽古が続けられるのは、妻が元気で働いていることと、何よりも母が元気でひとり暮らしを続けているからである。

もしこれが母がこれほど健康に生活して居られなかったら、まずいま情熱を傾けているような、音読や弓の稽古などはまず無理である。

そのことを思うにつけ、母の元気な存在がどれほどあり難いことであるのかがしみてくる私である。

0 件のコメント:

コメントを投稿