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2019-02-25

母と妻の3人で八朔を収穫、そして想う。

昨日午前中義理の父の命日が近づいたので、妻と母と私の3人でお墓参りに行き、家で3人で昼食後、我が家の八朔の収穫をした。

母が植えた八朔は樹齢40年にもなろうかという、我が家のご神木である。実はあまり大きくはなかったが今年もたくさんの実をつけた。この味になじんでいるので、我が家の八朔が一番うまい。

2000年に家を建て替えたが、この西大寺の家の敷地で私はこの八朔の樹を27年間眺めて暮らしている。いまだにたわわに実をつける。妻と母が身近な方に配布、娘たちのも妻が送る。
手の届かないところにあった、ふた箱以上の収穫

私と妻はこれからしばらく、毎日のように食べる。冬のビタミンCとして欠かせない。収穫後母の指示で剪定をし、枝を切って袋に入れ、最後に妻が根本周辺にお礼肥えをした。

その間、86歳になる母は、あちらこちらが痛いといいながらも、芽吹きだした雑草を小さな草取り鎌で、採ってゆく手を休めない。

義理の父亡きあと、母のひとり暮らしを間近で眺めながら、今も見事な冬野菜の菜園場を見るにつけ、絶えず土に触れて人生を今も歩む姿に、感動を覚える。土と絶えず触れているからだと思うが、年相応、少しは弱ってきてはいるが、いまだ自転車に乗れるほど元気である。

今はまだ、あれやこれやの煩悩を生きる私だが、最後は土に触れて妻と共にあのように最晩年は過ごしたいものだと 感じ入るのである。

そういう意味で、身近にお手本的な老いゆく姿が存在するということは家宝である。先日の帰省で面識を得た日高ご夫妻のこと、度々書いているが、見事というほかない夫婦の老い方というものを私はみた。学べるうちに少しでも学んでおきたい。



3 件のコメント:

  1. こんにちは。お手紙いただき有難うございました。お返事を、、と思いながら今日に至ってしまいました。幼き日に五十鈴川の思い出は、私も地元育ちですので同じ思いです。子供達に読み聞かせ、人形劇でお年寄りから聞いた、ひょうすんぼ「カッパ」の話をした時のこと。

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  2. また後でコメント送ります。

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  3. 続きデス。夏の夜半に川の方から「ひょ~う~、ひょう~、」と言う声が聞こえたら、あれは、ひょうすんぼが川を渡ってるとよ、と。子供達は目をクルクルさせて反応していましたね。門川辺りでも似たような話が有ったかも知れませんね。余談ですが🙋いま煮しめや、栗ぼた、いなり寿司の諸々段取りをやっているところです。

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