ページ

2019-02-14

3日連続、五十鈴川だよりを書かずにはいられない朝。

三日連続して五十鈴川だよりを書くことはあまりないが、書きたい自分がいる。

私の書く五十鈴川だよりには、ほとんどといっていいほどコメントがないが、久しぶりに父のふるさと細宇納間の地で出会ったばかりの、日高ご夫妻の奥様である悦子さんから、私の生誕を祝う言葉をいただいた。

ブログのコメントだけではなく、スマホに私との出会いに関するメールもいただき、恐縮しながらも、年齢を忘れうれしさを禁じ得なかった。

奥様の悦子さんは、自ら限界集落での老い楽ライフを愉しみ、(ご主人と共に)スマホやパソコンを自由に操りながら、さっそく五十鈴川だよりを読み、素早い反応で コメントを下さったことに関して、正直驚いた。
初対面なのにお土産にいただいた見事なシイタケ(写真が暗くて申し訳ない)

わけてもスマホにメールでいただいた言葉に、悦子さんは私より年上であられると推察するが、私や姉夫婦との突然の出会いに、久しぶりに血が騒いだと書かれていたこと、驚いた。

悦子さんは、デジタル音痴である私とは異なって、スマホをはじめとするデジタル機器を 自在に操る。そして反応が素晴らしく早く、好奇心も旺盛である。

このような、 女性が細宇納間の限界集落の地に、素敵なご主人と共に静かに暮らしておられることに驚いている、そのことが三日連続して私に五十鈴川だよりを書かせる。
悦子さんお手製のこれまた見事な梅干し(感謝していただきます)

何よりも66歳の終わりの二日前、父のご先祖の地で、日高ご夫妻に巡り合えた幸堪は何やら暗示的で、私にしかわかりえぬ感覚である。

何というのか、父のルーツ地に同姓の素敵なご夫妻と縁を紡げたことが、老いてゆくこれからの私にとって、至福感のような感覚をもたらすのである。

岡山の地に暮らしながらも、わがルーツはあそこにはっきりとあるといった、大いなるもの、故郷に抱かれているとでもいったような安心感覚が、老いゆく我が身に突然起こったのである。

次回帰省したらあの小さな谷あいの集落や、その周辺を散策・思索するのが楽しみである。父の死後毎年のようにお墓参りをしてきて19年目、娘たちが巣立ち、初孫に恵まれ、人生の奥の細道に分け入りたくなっている。

0 件のコメント:

コメントを投稿