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2015-12-31

2015年大晦日、朝の五十鈴川だより。

大晦日の朝である。さすがに今夜は寝るのが遅くなるのでいつもよりは遅く起きた。家人はまだ休んでいる。

一昨日から母もやってきた。毎年お正月一週間は共に過ごす。2階の寝室で母と妻は寝て、私はその奥の衣裳部屋に布団をひいている。

この小部屋がことのほか私は気に入っている。冬の間はここで寝ることに決めた。一回の薪ストーブの暖気が寝室とこの小部屋をしっかりと温めてくれるからである。

それにペットボトルの湯たんぽがあればいうことなし。お湯は薪ストーブが常時沸かしてくれるし、焼き芋ほかいろんな温め料理が可能なので、まったく薪ストーブの効用ははかりしれない。

眠りに落ちるわずかな時間枕元のスタンドで文字をおっていると、全身が温まってきてあっという間に眠りの世界にいざなわれる。

4~5時間熟睡すると時折目覚める(目覚めない時もある)。そんなとき何をするか。これは初めて書くが、静かに深い呼吸しながら我流の腹筋を するのである。

これをすると、しっかりと目が覚めるのでまた眠くなるまで文字を追うのである。だいたい10時くらいには寝入り、起きだすのは5時過ぎである。

ほかにも瞑想したり、時折の意識ハッキリ真夜中時間を楽しむことを心かけている。闇の中というのは、自分自身と向かい合うには最高の時間帯なのだと私は考えている。

盲目の方は、常時このような感覚で過ごされているのだということを、何とはなしに感じる。闇という字は、音が閉ざされている状態だ。
プラハの街並み

睡眠が満ち足りて、脳がニュウートラルな時に思い浮かぶことに私はほとんどすがって今も私は生きている。

だから睡眠という行為は、私にとってはとても大事なのだ。寝ないと私は全く体が変調をきたす。

食事、お風呂と睡眠とが、歳を重ねるととても大事だ。

とにかくよく休んで、体調の維持管理を楽しめるくらいの余裕がないと、私の場合ははかゆかない。

ところで、幼少のころの最初の記憶の世界はうす暗いのである。

だから、私はアフリカやインド、アジアのいまだうす暗い辺境の土地を旅すると、もうそのようなところには住めない体になってしまってはいるものの、しばし心身が落ち着くのである。

真夜中トイレに行くときなど、電気をつけずに手探りで感を研ぎ澄まし用を足して遊ぶ。100年もさかのぼれば、漆黒の闇がほとんど、大いなるものにひれ伏して、人としての法を超えずにあらかたの人は生活していたに違いない。

いまや、私をはじめとする現代人は闇を遊ぶ余裕もなく、闇は恐ろしいといった対象でしかない。体の中の闇なる部分を、ときおり真夜中私は見つめる。瞑想と迷走。

最後にシェイクスピアの【リア王】のセリフで今年最後のブログを締めくくり、【目が見えた時はよくつまずいたものだ】。

2016年、五十鈴川だよりを読んでくださった皆様の健康と、良き歳でありますよう祈ります。




2015-12-30

年の瀬、年賀状のあて名の入力作業に半日を費やしながら思う。

年賀状は新年を迎えてから書いていたが、ちょっと私にしては異変が起こった。もう若くはない私は、やはり時間のことを考えて宛名ほかをパソコンで入力することにしたのである。

ブログに書いた記憶があるのだが、全部パソコンでいただく年賀状は実に味気ないと、私自身は今も考えている。

すべては、人柄と私と相手との関係性で私は変えることにしたのである。宛名はパソコンに9割くらいはして、ほんのわずかな時間をこの数年書に親しんでいるので、併用でゆこうと、いくばくかの思いつく字を書きこみたいと今は思っている。

これは年が明けてから書くことになるので、私の賀状は松の内には着くとは思うが、そうは早く着かないのでこの場を借りてご容赦のほどを。

住所もこの際パソコンに入れ、手書きの住所力も併せて利用することにした。 退職したら年賀状が減るかと思ったら、私の場合はさほどの変化がないので、100枚以上を手で書くのは時間的にシンドイ。

この年にして、ようやくにして無為に何もしない時間の大切さを私は感じるようになってきつつある。怠惰というのではない。要するに心と体に正直に生きることにしたのである。

でもそうはいっても、わたくしごと気にお年賀をいただくということは、普段は会えないにもせよ、私自身への思いがなにかあるからこそいただくということになるので、有難いことと受け止めている。

ほぼ半日で宛名を打ち込むことができたが、やり方はすべて妻が指導、五人めぐらいからはひとりでできるようになりあとは単調な入力作業でおえた。

来年からはパソコンにももっと触れるようにしたいと今は考えるようになってきつつある。スマホもそっとやりたく思っている。すべては自分の体との調整をしながら。

何かを得ると何かをなくす。便利、快適世界を追いかけすぎると、肉体が脆弱になり気力が衰える。一番困るのは声を出す肉体が衰えること。 バランス、時代の最後尾を私はゆきたい。

すべては、アナログとデジタルの併用で私には十分に足りる生活を心かけたい、のだ。

ドレスデンの森、娘と怜君
何度も書いているがおしゃべりな私だが、ブログを書いたり本を読んだりするのは、私はそんなには早くないし(打つのはかなり早くなってきました)努めてゆっくり読み書きするようにしている。

あらゆることがゆっくりなのだが、気が付くと進んでいる、そのような塩梅が一番私にはあっているのである。

これは尺取虫のように富良野の400メートルの畑に這いつくばった経験から私が学んだことである。

軽佻浮薄を自認しているので、私はせめて一人の時間くらいゆっくりとゆきたいのだ。歳があけたらいつものように可能な間、在来線で時間をゆっくりと堪能しながら遠方への旅をしたく思う。

時折普段の暮らしから離れて普段の暮らしに帰る。男の私にはこれは絶対的に必要である。年に4回くらいあれば十分である。

若い頃はどこか生き急いでいたが、今はまったくゆっくりとしかゆけない自分を楽しめている。でも思うのだ。生き急いでいたからこそ、何とか今があるのではないかと。

その年代なりに小さな器で、何とか自分にしがみついてきたから、大きな渦に流されなかったのだと。

世の中がバブリーなころ、何せ私は富良野で畑に這いつくばっていたのだから。今振り返るとだが、あのころ違う道をせんたくしていたら果たしてどうなったかは皆目わからない。






2015-12-28

竹韻庵に昼食忘年慰労会に出かける前の朝ブログ。

竹韻庵のことをあまり書いていないが、今日が今年最後の竹韻庵もうでになる。オーナーのS氏が昼食忘年会をしましょうということで、お招きにあずかっているのである。

少しアルコールが入るのでS氏が岡山駅まで迎えに来てくださることになっている。ありがたいことだ。7月末から竹韻庵に通うようになり、体力維持鍛錬くらいの気持ちでいまも続けている。

自分なりのことしかやれないが、五か月でずいぶん竹韻庵の雰囲気は変わってきたと思う。開墾して畑らしき体裁を整えたばかりのところに植えた、チシャトウやネギほかの野菜も、日照時間が少ない中 それなりに育っている。

それを眺めながら、いま孟宗竹の根を取り除くことを根気強く続けている。これはやったものにしかわからないくらい根気がいるし、かなりの体力を消耗するので、現在の私の体力で正味2時間くらいが限度である。

メインに使う道具は、斧とつるはしである。これがなければまず無理である。道具と体が連動してこその労働。働くという字は人が動くと書く。

頭は足と腰の上にいわば乗っかっている。直立歩行を始めた人類は、いまや頭がもっとも大地から離れたところを、いわば浮遊するような感じでたゆたっている、のだ。

私は思春期までの時間を、アスファルト以前のむき出しの土まみれの時代に育ったので人工空間が大好きなくせに、そこだけで呼吸しているとカサカサに潤いが無くなってくる自分を感じる。

いわば絶対矛盾だ。だからいま、竹韻庵に通いながらの都市生活は、私にとっては理想的なのである。このような生活ができる今を、ひとえに誰に向かって感謝したらいいのか。

だたただ謙虚に感謝することを忘れないためにも、日々五十鈴川だよりを書きたい。おそらく斧を振り下ろす体気力が持続でできる間は、きっと声出しも続けられるような気がする。

自分の体は自分がやはり一番よく分かるようで在りたいのだ。本を読んだり、ブログを書いたりするがために、私の一番の今のところの弱点は背中である。

それなりの対策を続けながらこれ以上はひどくならないようにケアーをしている。しかし在り難いことに、未だ元気に動ける身体があることの嬉しさは、歳を重ねるにつけ深まる。

あくまで自分という存在を動かしながら、老いてゆく時間の中での、自分なりの右往左往揺れる姿を、見つめたい、というくらいでこれ以上書くのは控える。
ドレスデンの怜さんの大好きな森を家族でピクニック

ところでいつものように話は変わり、堀江貴文氏の【我が闘争】という本を読んだ。

(わからないIT
語はすっ飛ばして)この人の本を自分が読むとは思いもしなかったが、一言私には大変面白かった。

1972年生まれの氏は、私より 20歳若い。

人は生まれてくる時代を選べない、その渦中をある種天才的に氏は突っ走る。そのスイング感は若さゆえの才能のほとばしりを縦横無尽にいかんなく発揮、それは今も続いている。

氏はいわばそういう宿命の星に生まれたのだ。全地球上の存在がいわば宿命的に日々を呼吸している。想像力こそ私の財産、生と死を日々繰り返し、命は時に縮み時に輝く。

せっかくこの星に生まれたのだから、日々を気持ちよく呼吸したいとシンプルに私は考える。

2015-12-27

クリスマスイブうれしいことがありました。

久しぶりに岡さんから私のブログにコメントが入っている。そのコメントに関しては個人的にしっかりと受け止めました、とここに書いておくにとどめます。

が、戦場という狂気の沙汰の渦中に平凡な人間が置かれると、普通の人間がかくも変身してしまう器であるかという認識の恐ろしさを、心の片隅に持っておいた方がいいと私はかんがえる。(私自身も例がいたりえない)

だからこそ、いったん始まったらとことんまで突き進む恐ろしさに、私は過剰なくらい敏感に反応した方がいいと思う。

安全保障法案に国会前まで足を運んだり、ブログでもたびたび一色になることの恐ろしさに触れるのは、知らず知らずのうちに そういう方向に流されてゆくことへの個人的な危機感である。(利益のために敵を作る愚)

大量虐殺の施設の隣で、ナチスは音楽会を開いていたというが、何十万キロ離れている国々で、空爆やテロや、その他あらゆる戦争状態を生きている方たちが今現在いるという現実に対して。

隣ではないからこその、あまりの痛みのなさを私自身はかすかに自覚している。がしかしこの平和もいつ何時失うかもしれないという危機感、平凡な狂気に走らないで済む世界にいられる何という在り難さを自覚する。

平凡に、ささやかにクリスマスやお正月を迎えられることへの感謝。五十鈴川だよりは時代の推移とは離れたところで 、静かに流れながらある種の自分なりの正気をち保ちながら流れてゆきたい。
怜君のおばあさんほぼ母と同じ年、ガーデニング、野菜を作るのが趣味

 ところで、はなはだ個人的なのことだがクリスマスイブに、ちょっとうれしいことがありました。

来年から山陽カルチャーでの講座が、木曜日よる6時から8時に なったことはすでに書きました。

この3年近くUさんとの二人レッスンが続いていましたが、クリスマスイブに新しく入会されたかたがいて、手続きをすまされたとのお電話でした。

そして昨日友人のAさんの息子さん(30歳の男性)も参加したということで、年明けからいきなりカルチャーで3人のレッスンが始まることに。

遊声塾も入れると10名も私に生徒さんができたのだ。 石の上にも3年、来年の春で丸3年、オーバーではなく感無量である。

夢が原退職後、新しい出発を今現在も継続しているが、ようやく3年目にしてかすかに実を結び始めてきたのだ。

子育てをほぼ終え、やりがいのあることを続けられながら生きられる今、ことのほか私は幸せだ。


2015-12-25

師走、ひとり静かに小津安二郎監督の東京物語を見る。

師走のさなか、たまたまNHKでお昼小津安二郎監督の【東京物語】と【秋刀魚の味】を続けてみた。

戦後70年の節目の年、原節子さんの訃報が知らされた。家人のいない部屋で一人静かに見入った。

20代、名画座で見たことのある作品だが この年齢で見るとなんともはや心に染み入ってくる。これだけは年齢を重ねないと感じ入ることのできない世界ではないかと、私は思う。

東京物語は1953年の作品、わたしが一歳の時である。いま、63歳の私が見て思うのは、名作というものはかくも時代を超えて残り、人間の深いところに届くのである。

私は玄関の開け閉めの音なんかに、昭和の家のかすかに時代の空気感を肌で感じることができるので、なおさら琴線を打つ。

団扇を仰ぐ老夫婦の姿に、曾祖父母の姿が蘇る。明治は遠くなりにける、なんていうが私には昭和は遠くなりにけ、あらゆるシーンに私の昭和が蘇る。

名作には余分な説明が一切ない。一気に展開するので、見る方はその間の出来事の推移をいやでも想像する。余韻の残る、奥行きのある、暗示する作品こそが私の好きな映画である。

時代に翻弄されながらも、家族として生きる姿のそこかしこに無常感が忍び込む。それを独特の同じポジションからの人間目線のロウアングルでとらえる。

一筋縄ではとらえきれない人間の細やかな感情のひだが、セリフのない無言の顔のアップで示される。絶対矛盾に揺れるしかない人間存在の悲しさ、と美しさ。

私が年齢を重ねるにしたがって故郷に回帰するのは、おそらく昭和にこそ私の青春(人生の大部分)があり、自分の中でいたずらに今の世相に迎合してまで生きるのは、はなはだもって無理があり、時代に取り残されても、東京物語の老いた夫婦のように、それを丸ごと受け入れた両親を見ているからだと思う。

戦後復興した旧市街を歩く妻と娘
いい意味での諦念のような。だがこう書きながらも、いい事か は別にしてあの時代に比較して格段に寿命がのびた現在、はなはだもって私は元気なので、今しばらくはじたばたしながら生きることになるのだとは思うが。

だがきっといつの日か、東京物語がもっともっと染み入ってくる日が来るのは確かな気がする。

このような映画を生み出した小津安二郎という監督の偉大さを漸くにして私は感じるようになってきた。

ところでこの東京物語という作品は、世界映画史上、2012年世界中の映画監督358人が選ぶ、監督選出部門の【10年に一度選ぶ】第一位に選ばれたとある。

このような世界の人たちに今も理解される、通じる普遍的な作品を小津安二郎という日本人が創ったことは何という誉だろう。

長部日出雄さんがM新聞に書かれていた。小津監督の作品は現在の世界の映画の流行とは、正反対の立場にある。

暴力・殺人・破壊・炎上・スリル・サスペンス・などの映画的な要素とは無縁で、非日常的な出来事は一切起こらない 。描かれるのは平凡な家族の平凡な日常ばかりー。


人間の本当の幸福は平凡な日常の平凡な繰り返しの中に隠されている、というのが小津の信条である。

その考えが的を得ていたのは、いま混迷を極めて何が何だか分からなくなっているシリア情勢と、長年住み慣れた土地を追われて、欧州に向かった難民が直面している悲惨な境遇を観れば一目瞭然ではないか、と。

地上に紛争と混乱が続く限り、平凡な日常の繰り返しこそが人間の非凡な幸せと説く。そのヒロインは原節子しかいないと。(余談だが黒澤明監督の白痴のヒロインの原節子さんが素晴らしい)

不世出の原節子の存在有らばこそ、小津安二郎監督の名作東京物語は生まれた。




2015-12-23

【間違いの喜劇】を一人で丸ごと読んでみたいと夢見る。

書き続けながら考える律動を続ける。ブログはいまやおまじない、気付け薬的な感じさえこの頃はしている。

いかに今日一日を過ごすかのだいたいは、ブログを書くことで整理確認が可能になってきつつある。私の人生はブログを書くことで、ことのほか充実の度合いが(手前みそですが)深まってきたように感じている。

毎日書いているわけではないのだが、書いていない日もそこはかとなく書いているかのような感覚が暮らしの中にキープできているのである。

柳田邦夫さんがおっしゃっていたが、人は物語を作る生き物、人生を物語化することで生きてゆくよすがとするということが、私なんかはとてもするのである。

だから演劇を、無意識にも学んだのではないかという気がする、というくらいで今朝はこれ以上書かないが、人は幻想や夢、物語にすがる生き物(私の場合)ではないかという気がしてならない。

ところで、いまシェイクスピアの【夏の世の夢】を遊声塾で読んでいるのだが、人生はまさに夢か幻のように私などは考えてしまう癖が身についてしまっていて、こうも世知辛い世の中にだと、ますます夢や幻にすがらないと、何と人生は無味乾燥に思えることかと、しばしシェイクスピアの登場人物のようなセリフの一つも吐きたくなる。だから私はシェイクスピア作品が好きなのである。

妻に言わせると自己愛が強いというのだが。屁理屈かもしれないが自己を愛すということと他者を愛すということは、私の中では不可分につながっている。

自分がいいコンディションでないと、なかなかにヒトを愛するという感覚が私の場合は育めないのだ。うまく言えない感覚なので、これ以上は書くのは控えるが。
教会で式を終え友人たちとお茶タイム、怜君と娘

魂や心を育むために、人はいかように生きてゆけばいいのかを この大変動時代、カオス化する世相を前にして、書きながらうすらぼんやりと考え続ける。

結論なきことを考えることの何という無意味な贅沢的言葉遊び。

ハムレットのように、言葉、言葉、言葉と、息を吐きながら運命に殉じてゆく、といった塩梅。

 話は変わる。月が徐々に満月に向かうこのころ、夕方図書館にゆき、併設する運動公園で散歩がてら体を動かして遊ぶ。

ほんの30分くらいだが平均して週3回程度は続けている。

昨日鉄棒で久しぶりに、懸垂をしてみた。ずいぶんしていなかったのに、何と4回できた。回数は問題ではないのだがやはりうれしい。わずか4回で身体中に血液が行き渡る。

引力に逆らって自分の62キロの体を腕で引き上げるという行為は、私の最も苦手な行為なのである。無理はしてはならないが、あまりに自分の体を歳だからといって甘やかすのもわたしの性格にはそぐわない。

膨大なシェイクスピアの作品の中で一番短い戯曲【間違いの喜劇】を全部一人で遊読してみたいという夢が最近私の中で 起こってきた。息が浅いととてもではないができない。

深い意味はない、ただただ今を生きていることに感謝し、できることをできるうちにやっておこうという気持ちになりつつあるのだ。

うまい下手も関係ない、ただただ全部を一人で読めるうちに人前に体をさらして、遊びながら読んでみたいのである。入れ歯になったら確実に読めないのだから、初老の男のわがままを私は夢見る。





2015-12-21

年の瀬、母との時間を共にしながら幸福を教えられる。

先週で遊声塾のレッスンは今年は終わり、今日でカルチャーのレッスンも終わる。これは是非書いておきたいのだが、来年からはカルチャーのレッスンは木曜日夜の6時から8時になった。

月曜日の朝だと皆さん働いているし、ほとんどリタイアした方々しか来れないので私の方からお願いして、時間を変えてもらったのである。

とにかく夜になったら、ひとりでも生徒さんが増えることを私は願っているがこればかりはどのようになるのか皆目わからない 。

とにかく私としては、夜に変わったことを機に何らかなPRをしたいということを今考えている。なるようにしかならないにせよ。希望を持つのみである。

話は変わるが、おとといの夜10年ぶりくらいに忘年会を我が家の庭と家の中でした。家族とゲスト合わせて9名によるちょうどころ合いの人数での小宴会となった。

庭で炭火を起こし、牡蠣を焼き私がゲストに振舞った。7時過ぎからは家の中に所を変え、夕食をしながらの歓談タイムを過ごし、ささやかで穏やかな愉しい忘年会となった。

母と妻が準備から片付けまで大活躍してくれた。久しぶりの忘年会である、がしかし母の存在の大きさをあらためて感じ入り再認識した。

ドレスデンの王宮あと戦後見事に街並みが再創造されていた
夜遅く9人分の器のあれやこれやを、洗って元通りに手際よく 短時間でしまえるなんてことは、やはり経験のなせる業としか言いようがない。

やがてはこのような忘年会もできなくなるであろうとは思うが、今年は何とかやれた。そのことをただただ私は感謝している。

夢が原退職後、母や妻との休日時間を大切にすることを、ブログ上で臆面もなく何度も書き綴る私だが、本当に感心することが多い母である。

当たり前に、自然に染み入っているかのように、ゆるゆる動くことをいとわない、やめない その仕事ぶりに、私は打たれる。

新聞は読むが、本などはほとんど読まない。畑仕事と、洋裁と編み物が彼女の一日の大部分を占める。一言での母の暮らしぶりは、家族のためにのみ費やされている。

一切の贅沢はしない。そういうことを育む環境に生まれなかったのである。だから口癖のように今が幸せだと、念仏のように繰り返し唱える。

そんな母だが、この夏妻と二人怜さん娘夫婦のところに3泊4日で上京した。数十年ぶりのことだ。ことのほか幸せそうな旅のアルバムを娘が作った。

なぜ行ったか。怜さんが一度来てくださいと再三誘ったからである。家族もだが、人間の信頼足りうる関係性は、ともに苦楽を共にすることでしか育みえないということだと私は考える。

一見大変そうな体動かしを、人生時間のほとんど費やしてきた母である。だからいまだに知らぬ間に、編み物や野菜が出来上がってくるのである。

一事が万事にそれは言える。学校を終えたら終わりではなく、人生はつまるところ生き方、継続、積み重ねの上にしか、花は咲かないのだということを母を見ていて、ともに時間を共有しながら思わせられる。