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2012-09-16

本橋成一監督から身に余るお祝いと激励を頂きました

ささやかな企画者に勇気を与えてくれる本橋監督のすごい仕事

格別な、思いもかけないが起こるというのは、人生の大きな喜びの一つだと思うけれども、夢が原を辞める決断をしてからというもの、嬉しい出来事や、予期せぬ新たな出会いが次々に起こり、そのことが実に私の精神を、さわやかな喜びで満たしてくれている。

 

この年になると、他の人は知らないが、そうは度々嬉しい出来事というのは訪ずれないのが普通のような気がするのだが、(当たり前のことだが)初めて60歳代に入って感じるのは、やはり心と身体がいきいきとさえしていれば、その内なる自分に素直に反応する、勇気さえあれば、つぎ次に物事は展開し、新たな相貌を見せるのだということを、実感している。

 

一昨日、円通寺(素晴らしいお寺でした)を訪ね、朝が早い私が、めずらしく夜遅く帰ると、封書が机に。差出人は、ナージャの村で土門拳賞にも輝き、ナージャの村や、アレクセイと泉、の映画フィルムも撮られている、私が尊敬しているお仕事をされている、写真家・本橋成一氏からであった。

 

あけてびっくり、詳細は私の拙い一文で、ブログに書くことは控えますが、わたしの再出発を祝福して下さる、もろもろが入っていたのです。身に余る志と、再びの芸人さんにカンパイの言葉、とどめは、ささやかなファンですヨ、の言葉。

 

実はこの夏、8月のある日、本橋監督(私は氏の作品である、アレクセイと泉のフィルムを10年くらい前に、岡山で自主上映したことがある関係から、どうしても監督と呼んでしまうのです)の・屠場・という30年以上かけて撮られた写真展が東京に続き、大阪でも開かれていたので、ブログには書きませんでした(簡単には触れられない)が、なんとか見に往く機会を持ちました。

 

その写真展は、これまで私が見た写真展の中で、人類(人間)が生きてゆく上で、もっとも根源的なテーマを内包した、一言でいえば写真展でした。月並みなことばでは形容できない、人間が生きることの闇の深さ、と、屠場で生きることを、職業とされている方々のその深淵が私ごときにも、圧倒的に伝わってきました。

 

牛を解体することで生きてきた人たちの、その存在感のすごさ、素晴らしさは、ある種私には、牛の存在感を超えるほどに、迫ってきました。構造の見えないあらゆる快適機器に踊らされ、生きた自分の肉体を忘れ、貧血気味の大多数の都会でしか生きることの叶わぬ現代人。命の血しぶきが、見えなくなっている我々の暮らしに、強烈なインパクトを与えずにはおかない、白黒作品とは思えない、いろんな色・気配を感じさせる写真の数々。

 

素人の私にも感じる、デジタルでは、とらえられない、本橋感覚。見えないからこそ素晴らしい、想像力を鍛えずにはおかない、闇の真実。

 

普段の暮らしではまず見ることのない、アンタッチャブルな世界をこんなにも、芸術的に昇華(ある種の神々しさを感じた)するまでに、時を待って発酵化された、比類ない闇の奥の奥の、人間存在の素晴らしさ、輝きを見つめ続けた写真家の三十年の重み。

 

誰もがなしえなかったことに挑戦し、生きた(陽の当らない、ヒトがあまり見ようとしない世界に活きる人に対する慈愛の感覚)お金とは無縁な仕事を一貫して続けてきたからこそから、成し得、到達できた闇の世界の温かさを伝える写真展でした。

 

そのような大先輩から、ファンだと言われたことの嬉しさは、言葉では表せません。散々心配をかけた、闇に眠る両親にこの嬉しさを伝えました。

 

監督、ありがとうございました。私もささやかに、精進します。

 

 

2012-09-13

玉島の円通寺を訪ねます


夢が原での、やはり無心の草刈りのおかげなのか、天地の力なのか、徐々に大冒険企画の疲れもさわやかな朝夕の涼しさと共に、普段の生活に戻りつつあります。

 

早寝早起きの生活は、すっかり私の生活では今では当たり前になりつつあります。一日一日夜明けが遅くなってゆく季節ですが、早朝駅に向かう道すがら朝日を浴びるのは、なんとも言えません。

 

夢が原のおかげで、この21年朝焼け、夕焼けの美しさに見入り、何度救われたことでしょう。陽の出、夕日を愛でる、月を愛でる、これは死ぬまでできる、私の生きているお金のかからない、ささやかな楽しみの一つです。

 

花鳥風月を愛でることを、ことのほか日本人は好みます。どのようなイデオロギーも苦手な私ですが、日本人ならではの感性は、いくばくか、いかに西洋化の影響を受けたとはいえ、心の深いところを脈々と流れている、そのような思いにしばしばとらわれる、還暦の私です。

 

さて前回、邦楽番外地の余韻いまだ冷めやらずということを書きましたが、添田唖蝉坊の世界を土取さんによって、知ることができ、還暦で唖蝉坊に出会えたことは、うまく言えませんが、これから私が生きてゆく上で、大きな支えになるような予感がします。

 

それほどまでに、強靭な精神の自在さというものに満ち満ちている、多様な唄の世界の豊かさに、(私自身が今を生きる中で見失っていた大切な世界が、わんさか詰まっているということに)遅まきですが、気づきつつあるという自覚です。

 

この感覚は、実にわたしを穏やかにしてくれる感覚としか、いまは記せないのですが、何か企画者として、ささやかなるとも、たんなる音楽会を企画するのではなく、たまたま集う、来られた方と演者スタッフ、一期一会の時間が幸福感に包まれるような企画を、やりたいと、考えるのです。西大寺観音院に来られた聴衆は素晴らしかった。

 

ヒトはどこからどこへ向かうのか、私自身途方にくれながら生きていますが、再出発企画として直感的にこれだと思った邦楽番外地は、お金では買えない何かを私に知らしめました。

 

お休みの今日午後、在りし日唖蝉坊が立ち寄ったという、玉島の円通寺を訪ねてみようと思っています。

2012-09-12

余韻いまだ冷めやらず・邦楽番外地

10日の夜明け・西大寺駅で電車に乗る前写す

邦楽番外地、私にとっての大きな企画が終わって4日経ちますが、これまでに経験したことがない余韻がいまだに続いていまして、正直ブログを書く気が起きない(思いがまとまらない)のですが、なんとか夢が原でなにも考えず、汗を流し働いています。

 

無心に草を刈り、その草を集め、燃やしたりしながら、(もちろん他にもいろんなことをしながら)ひたすら身体を動かしながら、青空の下働いております。私は汗を流しながら考えることが好きです

 

それにしても、今回の邦楽番外地は、これまでの集大成という意味でも、これからを生きてゆく、再出発という意味でも、大きな節目の企画であったということを(今はまだきちんと整理できないのですが)おぼろげながら感じています。

 

小泉文夫先生は唄を歌わなくなった民族は滅ぶとおっしゃっています。

 

まさにそのような時代(が訪れている気がしています)の中、無知蒙昧、非力な企画者である私が、なんとか土取利行氏による邦楽番外地を企画できたことは、今しかできない、いま企画しなくては、という一点において、私にとっての大きな山に、遭難しながらなんとか登りきることができた安堵感に包まれているというところでしょうか。

 

個人的なことですが、今回このような私にとっての大冒険企画、登りきることができたのはこれまでの人生で巡り合えた、宝石のような友人(家族も含む)たちのおかげです。音響・照明・記録・雑事一般、すべて無償の行為で、成立することができました。

 

そのことに対する万感の感謝は、なんとしても今夜ここに書きつづっておかなければとの思いです。

 

そして何よりも、素晴らしい記録が撮れたこと。今回の企画は平日でしたので、私を個人的にお応援して下さっている方々はほとんど参加することができなかったのです。だから私はその方たちのために、DVDができたら、上映会をするつもりです。お詫びの上映会です。

 

それから、私の大きな企画、(ママディの時から19年)関東から深夜バスで往復かけつけ、ボランティアしてくれている親友のK氏のことは、何と表現していいのかわからないくらい、嬉しく言葉がないです。彼が岡山に来られなくなったら、私は企画することを辞めるかもしれません。

 

何故、企画をするのかという問いに対しての答えの一つに、年に一度私の企画で友人たちと遊ぶことで、いま現在を生きていることを確認したいということも、大きいのです。

 

還暦を過ぎたのですから、これからは幼少期とはまた異なる意味で、ひたすら晩年を遊ぶということを、探してみたいという思いにとらわれる私です。

 

演歌の唄にもありましたが、あなたこの世に何しに来たのという問いは、限りなく意識が動く間は、繰り返し考えるに足る言葉に思えます。

 

この間も書きましたが、遊びをせむとや生まれけん、という言葉は、おそらく今後私がなにをするにしても、生きてゆく上でもっとも重要な言葉になりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

2012-09-06

土取り利行氏による・邦楽番外地今夜から始まる

10数余年の歳月をかけて書かれた比類のない書物

御挨拶にかえて

 

1978年、26歳の時、ロンドンで土取利行(つちとりとしゆき)さんと出会わなかったら、おそらく私はその後このような人生は歩まなかっただろうという気がする。それほどに2歳年上の彼との巡り合いの意味は、今はまだ落ち着いては語れないほどに大きいという気が、やはりどうしてもしてしまう。

 

二十代後半、初めて土取さんのドラムソロを聴いた時の衝撃は、ふわふわ生きていた私にとってまさに驚天動地、細い鍛えこまれた肉体が鞭のようにしなり、発せられる打楽の音の周波は、根底から私の身体を揺さぶった。一時間以上のドラミング(いろんな世界の見知らぬ国ぐにの打楽器も、その時初めて見た)のソロ、肉体を限界まで酷使し、表現する前人未到の音の世界。フリーインプロビゼーション、即興による音の乱舞。

一流の音楽家のコンサートに出かけて、口当たりのいい心地よい音楽しか聴いたことのなかった私は、あらゆる音の波動が私の全身に襲いかかり、なにがなんだかわからないほどに打ちのめされてしまったのだ。それほどまでに全存在を賭けて、身体を使い、声を出し、叫びとささやきの、パーカッションを聴いたことがなかった私は、一言でいえば商業的な音楽家とは全く異なる音楽家の未知の存在に、ある種の畏怖の念を初めて持ったのだ。

宇宙の波動、純粋な魂の肉体から発せられる音の世界は、限りなく広く、繊細多様で、真の音の一滴は、肺腑をえぐりまだ若かった私の心の深いところに沁み入ったのだ。以来、土取さんの存在は、私の心の片隅から消えたことがない。

 

四十歳で、美星町の中世夢が原で企画者として再出発した私は、いつか土取さんを企画する夢を心に誓いながら、縁の在る方々からのオファーを中心に企画者の修業をしながら、機をうかがっていたのだが、ようやくその機がやってきたのは、日韓パーカッションフェスティバル、私は五十一歳になっていた。

 

還暦を迎えた私が、今、再出発に企画するのが土取さんの邦楽番外地、明治大正演歌の世界を選んだのには、いろいろな思いが詰まっている、余白の都合で割愛するが、氏と巡り合い三十五年、私の企画者としての個人的な、一区切りの集大成として、どうしても企画したい希有な、異能のアーティストなのである。

土取さんは、いまだ一貫して人生を賭して、あえて芸術のミューズの神に道をゆだねている。そのような方に、一回性の実人生で巡り合い、企画できる喜び、あきらめず何かを探してきたが故なのだと、ここまでささやかな私の人生を導いてくださった全ての方に、感謝します。

 

2012年・9月7日・金曜日  日高奉文

いよいよ前夜祭、今夜のレクチャーから、邦楽番外地が始まります。やると決めた時からまさに流れるように、時がたち、その日が迎えられる喜び(苦しみも含むなんとも言えない感情は、企画者ならでは)はなんとも言えないものがあります。

 

上記の一文は、当日来られた聴衆に配布するために、一週間前に書いた文章です。私のブログを開いてくださる方がたにも読んでもらいたくアップすることにしました。

 

午後には土取さんもやってきますし、他の出演者も今日から自主的に岡山入りします。カンカラ三線の、岡君、音響のS氏も経費節約で我が家にステイします。

 

それから、以前このブログで少し触れた、チベットのフィルム・オロ・(来年上映会をしますのでくれぐれもご協力お願い致します)を撮られたカメラマンのT氏が手弁当で、我が家に宿泊し、今回の邦楽番外地を記録して下さいます。今の時代に明治大正時代の演歌を歌う、土取利行氏の仕事を記録することは、日高事務所の大切な仕事の一つだと、考えます。もうそれだけで、精神的には黒字です。

 

Tさんレベルのカメラマンは、ギャラのことを考えたらとても来てくださいとは、思ってはいても、なかなか口には出せないのですが、口に出してみましたら、スケジュール空けてるよ、との御返事。持つべきは友、苦しい時に頼りになるのが真の友。出演者もスタッフも素晴らしい、このような方たちと仕事をするということが(したくなる)私にとってのイベントなのだと思えます。

 

これから二日間は私にとっての、極めて個人的にささやかに、聴きに来てくださる方たちとの超ミニのお祭りが始まる。今こちら側で生きている我々と、彼方に往かれているあまたの方々との、祈りの交流のイベンチュアルな祭りである。演じ奉じるのは土取利行氏とその仲間である。

 

当日券を、20枚用意しました。このブログを開いて、聴いてみたいと思われる方いらしたら、どうぞお足をお運びいただきますよう重ねてお願い申し上げます。

 

 

 

 

2012-09-03

子供たちのコメントに感動しました・嬉しかった

再会した時には、雨にも負けずを暗誦しましょう

一昨日アップしたブログ・宝石のような子供たち・の3人から、予期しないコメントが、早速来ているのをいましがた読んだばかりです。お礼のブログをこの場を借りて書きたくなりました。そして新たな思いが湧いてきました。

 

なぜか、すごくうれしい。私のブログに関するコメントは(他の方のブログは知らない)極めて少ないし、このようなストレートな反応は、子供だからこそという気がします。私にしかわからない喜びが、歳を忘れさせてくれるほどに全身を包んでいます。

 

私ごときが、というべきか、私のような性格のもの(本質的性質)が世の中に出て42年、なんとか、身過ぎ世過ぎ、生きて来られたのは、ギリギリのところで心が感動(躍動)することを、生き方の第一義にして、(そのために自分の身体の眼に見えないところの、深いところにある、危うい精神に投資する)かろうじて歩んできたからではないかという気が、しています。

 

若いころから今に至る度々の転機、安易な方に妥協しないでよかったと、今この年になりつくづく思っています。そのような私自身の生き方を、数少ないけれども、真の友人諸氏に支えられながら、なんとか還暦までたどり着き、また新たな出発をしようという門出に出会えた子供たちからの、メッセージは限りなく私を勇気づけます。

 

眼に見えない、ジーンとするとか、わけもわからず涙が出るとか、琴線が揺さぶられるとか、神様は無限の資質を(良くも悪くも)ヒトという生き物に与えてくださっています。

 

私の場合は、いわゆる学校の勉強は出来なかったのですが、身体が弱く、5人兄弟の中で浮世離れしているようなことに、いたく心を動かす子供であったらしい事は、生前の父母に、度々聞かされておりました。その生来の魂は、どうやら今もって、その動きを止めないという気がしております。

 

子供たちは、いま成長の真っ盛りです。小さき胸の中で、日々あらゆることに心を動かしながら生きているのだと思います。私自身の人生を振り返っても、小さいころに出会った大人の存在にいろんな、影響を受けながら自分の人生を彩ってきたことが、振り返るとわかります。少年時代の楽しく、豊かな記憶は、一生の財産です。(命の輝きはお金では買えないのです)

 

だからこそ、私が小さい頃であった日本のごく普通のおじさんたちに、いろんなことを教わった経験の宝を、今を生きる子供たちに、かすかにでもいいから伝える、子供いきいき塾を、10月(毎週日曜日)から始めることにしました。

 

生きた言葉でヒト(他者)に自分の考えや、思いを伝えられるヒト(自分)になるための基礎を身につけるための、日本語の豊かな表現を身につけるための塾です。

 

だいすけくん・天河くん・そういちろうくん。コメントありがとう、可能なら冬にまた会いましょう。あなたたちのおかげで、おじさんの中でいろんなことがはっきりと見えてきました。わざわざ、見学に来てくださった、お母さんがたにも、感謝を伝えます。

土取利行・邦楽番外地が9月7日が近づいてきました

桃山晴衣さんの梁塵秘抄のCD(当日会場で販売します)・おぼろな写真でごめんなさい

いよいよ木曜日に土取さんがやってくる。その夜は明治大正時代の演歌についての五福座でレクチャー、翌日は観音院での音楽会だ。

 

残された日にちは、今日を含めると3日しかない。正直かなり疲れている、がしかし何というのかわからないが、心地よい疲れというものもあるのだという感覚を持ちながら、あと3日やれることをやって、当日を迎えたい心境です。

 

友人、知人(今の時代を冷静に生きておられる方の存在は、企画者としての私を勇気づける)の多大なご協力のおかげで、なんとか目標ラインぎりぎりのところまではお客様が来てくださるような予感がしています。このような、ある意味で時代と対決するような企画に、足を運んでくださる方と、当日お会いすることができるのが、実に楽しみです。

 

 

還暦の今、日高事務所の立ち上げの企画。生きている実感が限りなく薄い、混迷の今の時代を生きている最中、何故今、明治大正の演歌なのか。最も情熱を持って取り組んだのが、土取さんの明治大正時代の演歌の世界、当日までやれるだけのことをやって、と考えています。

 

それにしても、つかみどころのない、鵺のような時代が続いているという気が、どうしてもいたします。このような時代は、おそらく私が経験したことがないだけで、有志始まって以来、艱難辛苦、先人たちは何度も繰り返し経験してきたに違いないのです。先人たちのことに思いをはせると、まだまだ沸々と、エネルギーが湧いてきます。御先祖様に感謝する私です。

 

TVもレコードもCDもなく、限りなく娯楽が少ない時代、先人達は、自分の身体で声を出し(お金で買うのではない生活の中で)唄をうたう、唄者の唄を聴くという、豊かで確かな関係性を持ち、あらゆる知恵・方法で慎ましく、おおらかに生きていたそのことを、想像(おもう)のです。それを可能な限り、私自身今を生きる中に取り戻したく思うのです。

 

明治大正時代の唄を、またその時代の庶民の暮らしのなんたるかを、私自身ほとんど知りませんでしたが、今回の企画を通していろんなことを学ばせてもらっています。人間らしい暮らしとは、なにを目指す暮らしなのかを、真の芸術家は音楽で語りかけます。耳を傾ける力をつけないといけないと思います。

 

企画をするということは、生きたレッスン、学ぶということに他ならないということを、歳を重ねることによってますます感じるこの頃です。そして信頼できる生き方をしている方々から、独学で学ぶということは、私にとっては掛け替えのない貴重なの晩年時間になります。 

 

ともあれあと4日、一人でも足を運んでいただきたいと願わずにはいられない私は、悔いなくやれることをやり、当日を待ちます。御来場心よりお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

2012-09-01

この夏、宝石のような子供たちに会えました

宝石のような子供たち(ありがとう)

夢が原を辞めることに決めてから早8ヶ月、緩やかに私の中でいろんなことが変わりつつあり、そのような生活の中で、前回Kさん御夫婦にも逢うことができた嬉しさをご報告しましたが、もう一つこの夏、とてもうれしい出来事がありました。

 

それは夏休み、8月の木曜日朝九時半から一時間、わずか3回ではありましたが、小学2年生から4年生の子供6人に(男子ばかりでしたが)、声を出すレッスンができたことです。昨日が最後だったのですが、この初めての経験、出来事は、私のこれからの生活の中で、かなり情熱を傾けて取り組めそうな、仕事としてやれるという、確信をもてたのです。

 

何故そのようなことが可能になったかという、いきさつは省きますが、とある方から(その方は個人で学習塾をされている)子供に声を出す喜びを教えてほしいという依頼が来たことが全てです。

 

還暦を過ぎ、晩年を生きるにあたり、生活の糧として、これまでの自分の経験を活かし何かしたことがやってみたかったのです。中高年のための声を出す塾をやることは考えていたのですが、子供たちのことは全く考えていなかったのです。

 

子供たちに声を出すことを教える時間を持てたことで、これから対象年齢を制限しないで、子供たちと、(15歳まで)一般どなたでもの2クラスを今後緩やかに始めてゆこうとの思いが、しっかりと私の中で固まってきたのです。

 

考えてみると、夢が原では子供たちに竹トンボを教えたりして、長年子供たちと接することを、私自身とても楽しんできた経験が生かせますし、何よりも人生経験の浅い子供たちは、まっさらな感覚でわたしの発する声を全身で受け止めて、声を出すのでその反応、リスポンスが、私自身に新鮮な喜びを与えてくれたのです。一言でいえば、ものすごく面白いのです。

 

子供たちが、こんなにもいきいきと変化してくれるとは思いもしなかったので、その意外性の連続は、何か私自身にも可能性の扉を開いてくれそうな気がするのです。岡山の何か所かで(一クラス10人前後)子供たちに声を出し、日本語の素晴らしさを暗唱する喜びを体感する塾を始めたくなったのです。

 

来年4月からの完全フリーに向けて、ゆっくりと、しかし貴重な時間を大切にこれから、ヒトとの出会いの中で、育みたく思います。

 

日々の暮らしの中で、ヒトとヒトが話をしたり、声を出したりする基本的な環境がだんだん失われてゆくような時代の最中に、敢えて原点に変えるような塾を、出会えた人たちと創ってゆきたいとの思いが、私の中で膨らみつつあります。

 

私自身、若いころ演劇の勉強を始めたころは全く声が出なかったのです。声を取り戻すことで、多様な表現も含めて元気になってきたように思うのです。なぜならヒトは言葉でできているからです。

 

ともあれ、この場を借りて6人の子供たち(ガマの油、忘れないでね)と、私にこのような機縁を与えてくださったSさんにお礼を伝えたく思います。