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2012-09-12

余韻いまだ冷めやらず・邦楽番外地

10日の夜明け・西大寺駅で電車に乗る前写す

邦楽番外地、私にとっての大きな企画が終わって4日経ちますが、これまでに経験したことがない余韻がいまだに続いていまして、正直ブログを書く気が起きない(思いがまとまらない)のですが、なんとか夢が原でなにも考えず、汗を流し働いています。

 

無心に草を刈り、その草を集め、燃やしたりしながら、(もちろん他にもいろんなことをしながら)ひたすら身体を動かしながら、青空の下働いております。私は汗を流しながら考えることが好きです

 

それにしても、今回の邦楽番外地は、これまでの集大成という意味でも、これからを生きてゆく、再出発という意味でも、大きな節目の企画であったということを(今はまだきちんと整理できないのですが)おぼろげながら感じています。

 

小泉文夫先生は唄を歌わなくなった民族は滅ぶとおっしゃっています。

 

まさにそのような時代(が訪れている気がしています)の中、無知蒙昧、非力な企画者である私が、なんとか土取利行氏による邦楽番外地を企画できたことは、今しかできない、いま企画しなくては、という一点において、私にとっての大きな山に、遭難しながらなんとか登りきることができた安堵感に包まれているというところでしょうか。

 

個人的なことですが、今回このような私にとっての大冒険企画、登りきることができたのはこれまでの人生で巡り合えた、宝石のような友人(家族も含む)たちのおかげです。音響・照明・記録・雑事一般、すべて無償の行為で、成立することができました。

 

そのことに対する万感の感謝は、なんとしても今夜ここに書きつづっておかなければとの思いです。

 

そして何よりも、素晴らしい記録が撮れたこと。今回の企画は平日でしたので、私を個人的にお応援して下さっている方々はほとんど参加することができなかったのです。だから私はその方たちのために、DVDができたら、上映会をするつもりです。お詫びの上映会です。

 

それから、私の大きな企画、(ママディの時から19年)関東から深夜バスで往復かけつけ、ボランティアしてくれている親友のK氏のことは、何と表現していいのかわからないくらい、嬉しく言葉がないです。彼が岡山に来られなくなったら、私は企画することを辞めるかもしれません。

 

何故、企画をするのかという問いに対しての答えの一つに、年に一度私の企画で友人たちと遊ぶことで、いま現在を生きていることを確認したいということも、大きいのです。

 

還暦を過ぎたのですから、これからは幼少期とはまた異なる意味で、ひたすら晩年を遊ぶということを、探してみたいという思いにとらわれる私です。

 

演歌の唄にもありましたが、あなたこの世に何しに来たのという問いは、限りなく意識が動く間は、繰り返し考えるに足る言葉に思えます。

 

この間も書きましたが、遊びをせむとや生まれけん、という言葉は、おそらく今後私がなにをするにしても、生きてゆく上でもっとも重要な言葉になりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

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