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2012-09-22

土取さんのおかげで、唖蝉坊の世界に惹かれます

私が若いころ、宿直のアルバイトをしていた出版社が出していた、添田知道氏の本、縁です

まだ週4日働きながら、来年の完全フリー向けて、この4月からあれやこれやの思考(試行)錯誤をし、いろんなことを学び、なんとか邦楽番外地を、日高事務所支援会員のおかげで乗り越え、また、1125日(日曜午後二時半から)の玉島円通寺での土取さんの演歌、独演会に向けて、またいきいき遊心塾の再出発に向けて、緩やかに、60歳の今を生きています。

 

当日まで、一人でやれることは一人でやろうと決めました。こないだは手作りチケットでしたが、今回からチラシも文字だけになるのですが、創ってみようと(これからの人生は、遊び心にきめたのですから)いま、思っています。

 

チケットも出来る限りプレイガイドにはおかず、プロジェクトEMPTYSPACEの郵便振替口座(013406-6-65098)に郵送費を含め払っていただき、こちらから送るということにしたいと思います。そして、チケットの行商をします。手の届く範囲の音楽会を日高事務所は目指します。

 

これからの人生で、後何本の企画ができるのかは私自身にもわかりませんが、そんなことよりも、自分が素直にエネルギーを燃やせるアーティストや、映画他に、焦点を絞って、魂を入れて企画しますので、どうかよろしくお願い致します。

 

能天気な私でも、ときおりは何故、自分は企画するのかを考えるのですが、それは以前も書いたような気もするのですが、現役で企画している間はここに書くのは長くなるので、控えます。ただ私の企画に足を運んでくださる方がおられる限りは、可能な限り、企画の見果てぬ夢(軸足を地面に置いて)を追いたく思います。なぜなら、私は小さいころから、夢や希望があったからこそ、生き延びることができたのですから。ともあれ、なんとか今、企画ができている事は、幸福というしかありません。

 

この年になると、はなはだ時間というものが貴重に感じられますが、手間暇を惜しまず、時間がかかることを、楽しめるような企画がやりたくなるというのは、やはり年齢のような気がします。開高健さん流なら、悠々と急ぐ、という感じでしょうか。

 

つまりは当たり前、生きているからこそ企画できるという、単純な真理に行き着くというわけです。何という当たり前のすばらしさ、私が当たり前のことと思える、なにはなくとも豊かな世界を、共有し合える観客(オーディエンス)がいる間は、続けます。今日は午後和紙を買いにゆき、今月中には150枚のチケットを親父の形見の硯で書きあげます。

 

 

 

 

 

 

 

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