ページ

2014-05-27

お誕生会の翌日の朝、何やらのうのうとした五十鈴川だよりです。

なにやらパソコンの調子がおかしい、だから最後までブログを書くことができないかもしれないが、今日のブログを書きたいという性は、未だ健在というほかはない。

いろいろと、書きたいことがあるということはありがたきかな、というしかない。ところで昨夜はほんわかと、緩やかな時間が流れるお誕生会を、雨を感じながら4人ですることができた。詳細は省きます。ただ、母と娘が幸せそうにしていた姿は、しっかりと瞼に焼き付けました。

私には、家族を持つまでこういう時間がなかったので、そのことがいまだ夢を見ているかのような気持ちになることがあるのです。

男と女が出会い、家族を持つことで、こういう展開に人生が彩られてゆくなんてことが、いまだ時折信じられないと、私に思わせるほどなのですが、どうもこれは夢ではないのだと、ブログではあれひとこと、書きつけておきたい私です。

ところで、昨日ブログ用の写真がなく、あれこれ思案していたら、身の回りにこまごまと思いでの品々が出てきたので、これからは変幻自在、即興的に旅の思い出なんかも、休日を中心に書いてゆきたいという、思いが湧いてきました。

ロンドン日記があるので、それをめくれば思い出が湧きあがってくるのではないかと、思い始めたのです。最近のことは、すぐ忘れるのですが、若いころの記憶は、ありがたいことにいまだ鮮明に思いだせますし、思いだせるうちに書いておかないと、やがてはやがて書けなくなるのは自明の理だからです。

ただいまだ、現役感覚で生きているので、何やらただ単におもいでに耽るようなことは、書きたくないし、今を生きることと結びつく、元気が湧いてくるようなことが書けるといいなあ、と思うのです。

自分で言うのもなんですが、小さいころから飽きっぽく、何事も三日と続かない性格だったことは何回か書いています。そんな私がロンドンへの旅を実現させる前の、二十歳すぎるころからゆっくりと変化し始め、何やらしつこく続けていると、思わぬ果実が自分自身の世界にも訪れるてくるということを、確信することができるようになってきたのは、やはり30を過ぎるころからだと思います。

それと、やはりパートナーーに恵まれたこと、それに尽きるように思います。こんなことを、のうのうと書くことをお許しあれ、もう62歳ですから。

父も、晩年苦労を共にした母を伴いよく旅をしていましたが、この22年間いろんな企画に奔走する私を陰で(今もそうですが)支え続けてくれている、妻にはまったくもって、言葉がありません。

私にできることは、方向に弱い妻の未知先案内くらいしかないので、もし晩年妻がどこかにゆきたいと行った時には、それができるようにはありたいと思っています。

ともあれ、書き続けることでなにかが、個人史的に刻まれてゆく、そのような夢の淡い感覚が、私の性格の中に灯っている間は、何かを紡いでゆきたく現実的幻想を求め続ける、五十鈴川だよりです。

【ブログを書く前私はしばらく、日記をつけていたのでした、ほとんどをあるとき処分したのですが、どうしても処分できなかったのがこの日記、なぜならインドを旅した記録が書きつけてあったからです、今日の写真は、その日記の表紙です】

なんとか今日も、綴りました、いまN氏に電話をしました。さあ、畑に向かいます。

0 件のコメント:

コメントを投稿