今日は下の娘の21歳の誕生日です、なんてことを臆面も書ける、今や鉄面皮化しつつある私です。
こんな個人的なことを、ブログでのうのうと書いてもいたしかないかのもしれませんが、世の中の大事とは無縁のところで、私を含めた庶民は、小事を生きているのですから、おりおりの生誕日はささやかに祝うという、妻の気持ちは大切にしたいと思っています。
下の娘と母の誕生日は二日しか違わないので、今夜共に祝うことにしました。大学を卒業し、家から出て働くようになれば、ともに祝うなんてこともそうはなくなるわけで、そういうことを考えると、家族が食事をしたりする時間なんかも思っているほどには、少ないことに気づかされます。
だからこそ、誕生会はどんなにささやかであれ、きちんとするということは、大切なことだと思う。
それにしても、なんとまあ時は早く流れ、娘たちはおおきくなり、あっという間に親元を離れてゆくことかと、世の定めとはいえ、当事者になってみてこそ、感じ入ること度たびの年齢にわたしもようやくにしてなった。
母親と違って男親は、どこかに一抹の悲哀というか、寂しさが伴う気がするが、それは男としての性のはかなき定めと、私は覚悟を持って受け入れることにした。
人間は、男であれ女であれ、究極的には一人の存在、だからこそ苦楽を友する、かけがえのない相手を求めるのだろう。夫婦にもやがては必ずお別れの時間がやってくる。それは夫婦のみならず、あらゆるこの世の関係性とのお別れでもある。
朝から雨に伴い、何やらしんみりとした五十鈴川だよりだが、静かにしっとり雨に打たれた緑を眺めながらキィを打つのもなにやら、風情があり私はこのような、静謐な時間が好きだ。
ところで、娘が小説をプレゼントにほしいというので、昨日すでに本屋さんにゆき求めてきたが、母へのプレゼントは、今日これからカルチャープラザでのレッスンを終えて、ゆっくりと考えようと思っている。
母の存在あればこその、娘たちの成長である。やがてもっと時が流れ、娘たちが子供に恵まれたときに、私たち夫婦も母がしてくれたように、孫たちと接することができるように、老いた先の時間、何かの役割ができるように、今からしっかりっとその準備をしておかなければならないと、母を見ていて思う。
ともあれ、今夜は母と娘のお誕生会を、夫婦できちんと祝いたく思う。
【今日の写真は、1997年1月27日(月)インドを旅した時ガンジス河の聖地ベナレスで撮った、貴重な白黒写真、インスタントカメラで撮った、フィルムです。私が45歳目前、旅日記も何故かつけていたのがでてきました。まるで、ガンジスはすべてを飲み込み静かに流れ、ただただ生と死が繰り返される、行ってよかったと思います】
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