とまれ、どのような行動の旅であったのかを簡単に記しておく。2日の夕方から車で宮崎に向かい、行きは阿蘇(途中地獄温泉で朝湯につかって疲れをいやした)を経由して、私が3歳まで過ごした高千穂へ、天岩戸神社で3日の11時近くに、2日から宮崎入りしていた、長女やレイ君、兄夫婦二組と合流、岩戸神社にお参りし、全員で昼食。その後すごい人ごみの中、高千穂峡を全員(9名)で見学して門川へ、5時近く帰郷。
その日は、姉の家で我々の帰郷を祝っての夕食会、レイ君と娘のお披露目も含めての、心のこもった手料理で、姉と義理の兄がもてなしてくれた。姉の娘や孫たち(5歳の女の子と小学3年生の男の子)も参加して、14人での和やかで楽しき宴となった。
翌4日は、午前中お墓参り、そのあと長兄夫婦と我が家族、孫二人9名で五十鈴川へ。誰もいない五十鈴川で川遊び。レイ君と私は冷たかったが、ほんのわずかな時間、水につかって泳いだ。五十鈴川は我が心の川、レイ君と泳げたのが嬉しかったし、姉の孫との石投げも、童心に還って楽しかった。
お昼はそのメンバーで、地元のおうどん屋さんで昼食。姉夫婦は所用で参加できず。少し休んで、午後3時過ぎから、我が家族と兄の6人で、門川の海で磯遊び、約一時間半、食べられる小さな貝を拾い、なんと私は生まれて初めて、ウニを採った。
夕方、6時近くからは、次兄夫婦、姉の娘と孫二人も参加し12名で、兄の家の庭でバーベキュー。陽がとっぷり暮れた8時近くまで楽しい時間が流れた。すべて義理の姉、次兄の姉が雑多な準備万端を整えてくれた。男連中は火起こしをしたくらい。
私とレイ君は暗い中、外で9時過ぎまで、飲んで語った。レイ君が持参した、ドイツのかなり度数の高い養命酒のようなお酒が連夜の宴の最後の締めで、甘くておいしくて久方ぶりにかなり楽しく酔ってしまった。こんなに楽しくおいしいバーべキューは初めてだった。片付けも女性群が多かったのであっという間にかたずいた。
5日は、朝8時出発、兄、次兄2台の車で椎葉村への9人での旅、まずは途中のおせりの滝へ、、初めて行ったが5段階の見事な滝で心が洗われた。椎葉といえば、平家伝説、高校生で訪れて以来の鶴富屋敷と立派な博物館をゆっくりと見学した。素晴らしい展示内容の博物館で驚いた。まあゆっくりとゆきたい。
昼食は、おいしい椎葉ならではのおそばを頂き、その後巨大な樹齢800年ともいわれる杉に出会わせて頂いた。我が故郷の奥深さを、あらためて知ることとなった。大人が手を伸ばして9人でようやく届くほどの胴回りの巨杉に出会ったのは初めて、そびえたつ偉容には圧倒された。
その後、南郷というところにある温泉につかり、のんびりと過ごし、(娘たちは湖のボートに乗った)夕飯は門川のとんかつ屋さんで済ませ、最後は所用で1泊2日佐賀に出かけていた姉夫婦が戻ってきたので姉の家に。9時近くまで最後全員での語らいのひとときを持つことができた。
そして昨日、朝5時過ぎ、東京に飛行機で帰る娘とレイ君を見送り、我々も6時近くには兄姉夫婦とお別れし、帰りは大分、臼杵からフェリーに乗り、しまなみ海道を走って夕方4時過ぎに家に戻ってきた。
そして今一晩休んで、なんとかブログを書いているというわけだ。いまだ旅の余韻止まずといった塩梅なのだがとりあえず、わずかではあれ何か記しておかなければといったところ。
あらためて、我が姉兄弟、人生の晩年の黄金期の、タイミング、いろんなことが重ね折り合わないと、このような旅は、そうは起こり得ないだろうと、思わずにがいられない、一期一会の旅が実現したGWとなった。
娘とレイ君のおかげ、あらゆるおかげ様で、このような旅を経験させていただきました。両親がこの旅を、冥界から眺めていたら、と想像します。この旅ではまたもやいろんなことをかんがえさて頂きました。家族とは、兄弟とは、親戚とは、面映ゆく書くことは控えますが、つたなきブログのこの場を借りて、兄たち、姉、義理の兄姉に深く感謝を伝えたく思います。
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