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2014-05-10

いよいよ本格的に、雑草との戦いが始まる季節がやってきました。

何をしていても時は流れ、雲も流れてゆくのを体感しながら、おかげさまで元気に働ける今が、ことのほかに幸せな私です。(こんなことを朝から、臆面もなく書けるということが)

そのことは、ブログを書く回数にも、如実に表れていて、4月は何と26回も書いています。2月が一番少ないのですが、それでも15回くらい書いています。冬はやはり内省的な時間を過ごすからなのかもしれません。

眼前の庭がようやく白んできました。今日も暑くなりそうです。若葉が萌える季節の到来、畑の周りの雑草、外来種の手ごわいとげのある草が、サンナンの畑の周りにはたくさん生えてきます。その草が、どれほどに手ごわいのかは、秋に成長した姿を写真にアップしたいいくらいです。

なにしろ棘がある草で人間の背よりも高くなる草で、休耕地にはびこっていたのですが、昨年秋、この草と格闘した時の記憶は、まざまざと私の脳裏に、深く刻まれています。この草の怖さを知る私としては、なんとしてもやわらかいうちに刈っておかないと、やがて大変なことになるということが、身体にしみているのです。

そんなわけで、ほんのわずかな時間ではあれ、手漉きの時間があるときは、体力と相談しながら、草刈り機で、刈るようにしています。GWを挟んで、畑の周辺を刈っているのですが、昨日も仕事を終える前、わずかな時間その草を中心に刈りました。

農の仕事の大部分は、草との戦いに尽きる、そのようなことを思います。刈った草はそのままからして又畑に漉きこみます。その繰り返しです。なるべくネギに陽が当たるようにしないと、雑草の方がはるかに成長が早いのです。

おそらく秋まで、時間があれば、合間合間に、私は草を刈り続け、草刈り機が及ばないところは、鍬や手で草と格闘共存しつづけるでしょう。人間は身体を動かす器であるということを、つくづく身体を動かすことの中で、自分という器が、この年になってもいまだかすかに変化することを微妙に感じながら、私は働いています。

昨日あれくらいはやれたから、今日はこれくらいにしておこうとか、自分自身の身体と問答しながら、事を進めていっているといった塩梅なのです。そのことを私は楽しもうと心懸けています。その気持ちの持ち方で、いろんな発見があるのです。同じ姿勢での動き1時間以上はしないようにしています。

立ったりしゃがんだり、出来るだけいろんな動きをしながら、今現在の体力をうまくコントロールしながら、付き合ってゆきながら、出来るだけ無駄な動きをせず、のらりくらりと進める。すると楽しくなる。人にあれやこれやと指示されて動くのではなく、自分で考え自分で自分に指示を出してゆくといった感覚が大事です。

とまあそのような感じで、今日もこれから仕事にゆく前、ブログを書いているわけです。意識が動き身体が動く、この連動ができるということが、今現在の自分勝手な生きる楽しみの知恵といっても過言ではありません。

数年前、人生で初めて10日間入院した時のことは、いまだ忘れようもありません。動けることのありがたさが、あの時以来どこかにしみ込んでいます。

雑草のおかげで、いまだ私はどこか鍛えられているような気がしています。畑は道場のような気さえ時折いたします。

(今日の写真は故郷の5段もある見事な、おせりの滝です。2段しか見えませんが。上にもう3段あります)

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