可能な限りのギリギリ感を、やれるうちに楽しみながらやっておきたいという、きわめて演劇的な感覚を日常生活に持ちこみながら、生きているような感がことにする私です。
何人かの人に、毎日のようにかくのは大変でしょうと、たまに言われることがある。だが本人はさにあらず。そんなこともあまり感じずに書いているといった塩梅なのである。
義務感や、何かとくに思い入れがあって(そういう時もありますが)書いている風ではなく、何かいちにちのリズムうを生みだすために、ささやかに個人的に儀式化しているにすぎないといった、ところ。
なにかを記すことで一区切り、又今日も新しく働けるかのような幻想を、いわば持続的にやっているのではないかしら、という自己分析。何度も書いていますが、気まぐれ自己満足ブログなのですから。
それでも私ごとき、日々雑感ブログを開く、いわば読者がかすかに増えてきていまして、そのことは私にとってささやかな、大いなる喜びでなのです。闇の中のささやかな奇特な、五十鈴川だよりを
開いてくださる方のためにも、なにも書くことがないくらいに疲れているといった、他愛のないことであれ、何事かをいわばひっかくような感じで、綴れればといった思い。
昨夜遊声塾のレッスンでかなり疲れてはいるのですが、精神はとても元気でおかげさまで、こうして書き続けられる、今朝を迎えているというわけです。
とはいうものの、病気になったり気持ちが全然動かない時や、旅に出たりした時はやはりオフタイムを持つのが自然なので、そうしようと今は思っています。
さて、昨夜の遊声塾、全員5名の参加がありました。みんな仕事を終え、私もそうですが、ギリギリのところで、皆さん踏ん張って参加されています。発表会まで後3回のレッスンしか残されていません。
0からスタートして、何の経験もない方がそのうち3人、よくもまあ続いたものだと、私自身素直に驚いています。全員がそろったのは記憶に在るだけでも数回しかなかったと思います。
昨夜一番最後に来られた方は、そろそろレッスンが終わろうとする、8時40分ころでした。とにかくみなさん働き盛りの方ばかりなので多忙なのです。ましてシェイクスピアを声に出して読む塾に、月謝を払ってまで参加されている方々は、私にとってはかけがえのない一期生です。
この方々と過ごす、何もかも忘れての声だし時間は、なんとも言えない貴重なひとときとして、私の生活時間に精神の張りをもたらしてくれています。家族、農と声だしと友、旅、本、これさえあれば、もう残りの私の人生時間は、ことさらなことがなくとも十分ではないかと思います。
夢が原退職後、わずか一年と少しでこんなにも生活が劇的に変化するとは思いもしませんでした。だが、表面はそうなのですが、このような変化も長い間の眼に見えない継続時間がないと、急な変化には、対応しきれないのではないかという気がいたします。
人生はやはり恐ろしい。日々をあだやおろそかにしては、どんな小さき花も咲かないのではないかと自戒を込めて書かずには居られません。いまだ反省しきりの私ですが、どこかに謙虚さを持続する精神を見失いたくはない、だからブログを書いているのかもしれません。
(今日の写真は曇り空にに咲く、我が家の白いバラです)
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