昨日、封書作業を半年ぶりにした。起きてからまずブログを書き、続いてお知らせの一文書いてプリントアウトし、天神山文化プラザに、施設使用料を払いにゆき、帰りに案内文をコピーし、戻って封書に一筆入れるため、父の遺した硯に墨をすり、約40人の方に書いて、郵便局で投函したらちょうどお昼だった。
起きたのが4時半、机の前に座ったのが5時過ぎだからおおよそ7時間くらい集中して、一気に事を進めた。
私は大事なことは、休日の午前中に集中してやるようにしている。特にブログを書くようになってからの5年近くはそうなってきた。充分に休んだ脳でないと集中の持続力が難しいからだ。
一文は、これまでの企画者としての仕事を応援してくださった方々に、企画者をいったんすっぱり辞めるということのお知らせの通知を書いてだしたのだ。
ブログでは詳しく書くことはしないが、22年間の企画者人生にいったんピリオドを打つといういっ気書き文章。春の訪れとともに、書かなくては書かなくてはと思いつつ、昨日になってしまったのだ。
正直、投函し何かほっとしている。潮時というものがあると思う。父の遺伝子が私には色濃く伝わっているのだなあということを、晩年になるに従って感じ始めている。父は、囲碁と庭いじりと旅で生涯を終えたが、何やら私も似たような生き方を選択しそうなあんばいである。
ギリギリまでことを生し、後は潔くぱっと手を離す。するとまた新たな展開が、見えてくる。そんな人生をこれまで私は送ってきたような気がしている。だからこれは私にとっては新たな、かすかな情熱の移行の選択なのである。
そのことは、私自身が一番自覚しているので、身体のどこかがさっぱりしている。先日の帰郷で、両親にすべてを報告することができた。秋には私の人生を変えた長女がドイツのドレスデンで式を挙げる、人生予期しないことがやはり起こる。
まったくこのような、個人的なつれづれを臆面もなくバーチャルの海に書くことに関して(還暦を過ぎた初老の男ゆえお許し願いたい)おそらくどこかつましくも、ある種の幸福感にひたっているのだと、おもいます。
生きている妙、たまさかのいろんな方々とのご縁、出逢いに助けられて、今現在を生きていることについての、感謝の念は歳を重ねるに従って深まって止むことがありません。
話は変わり、脳はまったくもって都合よく出来ているものであるということを自覚します。一回しかない自分の生の時間を、限りなく肯定的に都合よく演劇的に生きる術を、人間に与えてくれているのではないかという気が、私はします。
だからこそ、18歳から生き延びることができたのではないかという気が、私はするのです。人はやはり本能的に自分を守り、何かにすがり、かろうじて精神の安定を図る。人生は生き急いではならないと思います。勝負の終わりは最後にやってくる。そのように思うべく日々を積み重ねる。
人間とは、永遠に不完全な器、だからこそ恥ずかしいけれど還暦を過ぎているのだから書きますが、愛のある何かを、永遠に求めるという気が、私自身はいたします。
(18歳、昼は酒屋の小僧としてアルバイト、夜は貝谷芸術学院に通って演劇の勉強を始めたばかりの私。今となっては貴重な写真です)
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