五十鈴川のほとりに、久方ぶりにたたずめ、やはり家族全員で帰省出来ることが、そこはかとなく嬉しいのです。私のような単細胞型人間は、日々のどこかに、ささやかに燃え続ける元気のもとのようなものが、かすかにではあれ流れ続けていないと、おそらくしなびてしまうのではないかという気がしてなりません。
身の回りに、大切なことが、五つくらいそろっていれば、もうほとんど私には、ほかになにも必要がないくらいの、人生時間を生きさせてもらっている、という自覚が私の中に芽生えてきている。
4月は、春の訪れとともに、実によく我ながらブログを書いたものだなあ、という気がしている。オーバーではなく、書くことで自分と向かい合い、その感覚を磨くような感じで。
さて、5月はおそらくそんなには書けないかもし入れない、そんな気がしている。でも私のことだから分からない。何故かといえば、6月7日の遊声塾の発表会が控えているので、ブログを書く時間を減らしてでも、そのことに集中したいがためである。
昨夜も、充実したレッスンをすることができたのだが、この一年間とにもかくにも私のレッスンについてきて来てくださった貴重極まる生徒さん達の個性が輝くように、そのことにエネルギーを集中したいのである。
時間は有限、悔いなく発表会を、まずは終えたいという気持ちが、チラシができ、昨夜のレッスンあたりから強烈に湧いてきたのである。仕事を持ちながら、月謝を払い、かなり細かい私のレッスンに一年間ついてきてくださった生徒さんは、もう私にとっては、身内的存在になりつつあるのだ。
何より、私自身が30数年ぶりシェイクスピアを再び読み込むことで、今を生きる新鮮な感覚をあらためて取り戻しつつあるのが自覚できること、そのことが遊声塾を立ち上げて一番良かったことである。巨大な連山、シェイクスピア作品に登るのは、実にエネルギーがいる。
だがどんなに疲れていても、シェイクスピアの言葉を生徒さんたちと無心に声を出し続けていると、何やら別次元の世界にいざなわれて、不思議な元気が湧いてくるのである。いまだ自分の中に無限の可能性のような感覚が、眠っていたものが、ほのかに立ち上がってくるのである。
その瞬間の感覚は、のぼり挑み続けたものこそが、感じ取れる言葉にならない世界、一年間レッスンを受けた方々は、そのことを身体のどこかで自覚されたからこそ、続けられたのではないかという気がする。意識の集中する力を高めることで、生の免疫力つける声だし。
ともあれ、GW宮崎から帰ってきたら、6月7日の発表会に、仕事以外の時間、私の意識は向かうことになる。でもまあ、そうは気張らず、流れるようにこれまで通り、柳に風のように、書いてゆきます、ね。
ともあれ、先着30名くらいしか入らない教室での発表会です、なんとか満員にしたいと思います、要予約です、いらしてください。生徒さん達の今を生きる声を、聴いてほしいと願わずには居られません。夜明け前、今朝はこれにて。
(今朝の写真は、ブログを書きあげた後に撮った、一輪の庭のバラです)
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