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2013-11-09

小指にけがをした翌日の朝に思う

一番最初の畑地で出荷を待つネギ、完全無農薬です

土曜日休日の朝である。ぐっすりといつも良く寝て先ほど起きて、コーヒーを入れ宮古島の歌をかすかに聴きながら、何やら綴りたい私だ。

 

実は昨日、いつ以来か記憶が不確かなほど、久しぶりに手の左の小指に怪我をして、包帯をしているために、パソコンを打つのが早くはないのに、いつも以上にゆっくりと書いている。

 

医者にはいっていないのだが、かなりの内出血でなかなか血が止まらなかった。今もずきずきと痛い、小指は動くので大したことはないと思っているのだが、明日までこのままであれば、ちょっと医者に診てもらおうかとは思っている。小指とはいえ、痛いと仕事に差しさわりがあるのでそれだけは困る。

 

しかし、これくらいで済んでよかったと思っている。少々の痛さで済みブログは書けるし生活には何ら支障はない。ただずきずき痛いだけである。小骨が刺さったくらいでも人はやはり痛い。痛さへの感受性の欠如を思う。

 

ロミオの台詞、他人の傷を笑うやつは、傷の痛みを知らぬやつだ、とある。気の弱い私は血を見るのがことのほか苦手である。画面をとおしてでさえ、シリアの血を流す子供達の映像や、アメリカの無人機で無辜の民が、何百人も何の罪もないのに亡くなっているというニュースを聞くと、わけもわからぬ想像力で、胸が痛む。

 

このような犠牲的不条理に、鈍感になっているおのれの感受性の弱まりに対して、いかんともしがたい、内心の忸怩たる思いは、かろうじて私の中に生きている。私が嫌いな言葉、苦手な言葉に、が仕方ない、というのがある。

 

私は何もきれいごとを書いたりするつもりは毛頭ない。物心つく頃から何とはなしに、虚無的な無力感に襲われながら、世界の不条理には見て見ぬふりをしてきた(今考えると)、考え行動することをせず、自分の生活を維持することに汲々とした人生を歩んできたように思える。

 

人間はうそをつき、人をだまし、偽装もする、自分の国の不都合にはよそにまで軍隊を派遣し人も殺す。だが嘘の想像力でシェイクスピアは人間存在の真実に、限りなく迫った。

 

また、いつものように脈絡のない朝ブログになった。ご容赦ください、不都合な真実は隠匿する、戦前もそうだが、いまだこのような国に自分もまた住んでいるのだと思う。

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