開墾から始めた畑の向こうに日が沈む |
日に日にという感じで夜明けが遅くなり、日が暮れるのが早いまさに晩秋という語感がぴったりの季節を迎えている今朝である。今6時だが、外はまだ薄くらい。
今季一番の寒気が列島にかなり南下してきているらしく、岡山でも肌寒く感じる今朝、いよいよ冬が迫ってきているのを実感する。だが私はこの季節がすきだ。
新しい仕事を始めたからだとも思うのだが、何やら時間がいい意味で早く感じるのは、年齢のせいばかりではなく、充実した時間を過ごしているからだとも、私自身は考えている。
時間という、わけのわからない錯覚的な観念にはとらわれず、作物が育ってゆく姿を見守りながらの仕事になるので、そのことが私自身にとってどのような影響を与えてくれるのか、何とはなしに楽しみな日々なのである。
何と言っても職場が家から近いし、仕事に出かける前に精神を整えるかのようにブログを書けるひとときは幸せな時間というしかない。職場に向かうのが苦にならない。肉体的にはかなりしんどい作業が続くのだが、身体さえ動けば楽しみに変わってゆくのである。
そいう意味では、体調を整えないといけない。何がしかのお金を得るということは、プロの仕事なのであるから、金額の多寡ではなく、どんな職業についてはいても、プロの意識を持つということが仕事をする、ということだと私は考える。
これまでは全く読んだこともなかった農に関する本を、専務から借りて読んだりし始めているのだが、またしても無知蒙昧を知らされる。まったく生きるとは無知との出会いとでもいうしかない。知れば知るほどに、無知は深まるとでもいうしかないほどに。
でもまあ、そのことが精神や肉体、つまりは自分をいきいきとしてくれるのであるから、へーっと驚けるということは、はなはだ肝要、大切なことだと自分では考えている。
話は変わる、今日仕事の合間に妻が買ってくれた、西条柿を畑の周囲のどこかに移植するのだが、実をつけるまで時間がかなりかかるかとは思うが、専務の許可を頂き、いろんな果樹を植えたいとも考えている。
亡き父も晩年いろんな庭木や植物、花を楽しんでいた。やはり父や母の遺伝子が私の中に流れているのだとおもう。何事も全ては一から始まる。
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