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2013-11-07

61歳、うすらとんかちの頭で土の香りをかぎ考える

開墾から開始、見違えるような畑になりました、ここにネギを植えます。

昨日の続きのような、身辺雑記的な極めて個人的な朝ブログをわずかですが綴ります。昨日は朝8時~17時まで畑で過ごし、帰ってすぐお風呂に入り、着かえて岡山の天神山プラザの遊声塾で畑とはまた異なる時間を過ごし、家に帰ってきたのが10時。夜食を少し食べ、すぐ横になりました。起きたのが朝五時ですから、随分長い一日でした。

 

そして私はまた今日も5時には起きてブログを書きたくなるほどに、おかげさまで元気です。すぐ日が暮れてくる晩秋は何やら物悲しい季節ですが、私の気分はオーバーですが、人生の実りの秋を迎えているような心持なのです。畑で晩年を過ごすことになろうなんてことは、憧れてはいてもまさか現実には起こり得ないと考えていた私です。

 

畑で、身体を動かせ、ストレスがなく、自分で考えることができ、共通の思いの仲間とアイデアを出し合い、希望を持って働け、その上いくばくかの生活の糧を頂けるなんて、私には晩年の仕事としては、まさに娘が言うように、私に合った仕事言うしかありません。

 

何故、私がこういう職種を選んだのかは、ブログを書きつづける中でおのずとやがて、自分でもはっきりしてくるような気がしている。若いころからややもすると、芸術や文化的なことに、逃げ込むような生き方をしてきた私なのだが、30歳を過ぎてからの一大冒険富良野での2年半の生活が、やはり私の人生を根本から見直すこととなり、今に至っているのだということを実感する。

 

今はまだ人生を語らず、今日一日目的を持って、ただ働く、そのことがたとえようもなく気持ちがいいのだ。天と地と人が繋がっている、生命力の根幹を感じながら働くということは、貧血気味の現代人の一人である私にとっては、必要不可欠な大切なことだと思う。

 

私の晩年を生きる意識が、大きくパラダイムシフトしてきているのを実感しているこの半年の私である。だからこそこのような会社に巡り合えたのではないだろうかと考えている。

 

【オロ】と【祝の島】には人間の大切な精神の昇華された、私が無くしてきた世界の豊かさが静かに淡々と在る。

 

命を頂き、命を返してゆく謙虚な精神世界。世界のあらゆる戦争や紛争、強欲世界の果ては破滅しかない。ストーカーや虐めを始め、現代人病的あらゆる文明諸問題の根幹に横たわる途方もない雑多多面的諸問題は、ひとえに人間の足が大地を忘れ、命が見えなくなったことに起因しているのではないかと、うすらとんかちの私には思える。

 

 

 

 

 

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