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2013-11-20

畑に這いつくばりになりながら、流されながらも何をなしてゆくべきか考える

i頂いた宝のようなオロのアンケート

流されてゆく日々をなんとかしのいで生きながら、未曾有の情報汚染時代、数十年前から私が信頼している、藤原新也さんのキャットウオークだけは必ず読んでいる。私は氏のWM(会員2000人限定)の読者です。

 

20代の終わりころに初めて氏の本に触れてから、今に至るもかなりの影響を受けたし、いま現在も、年上の貴重な兄き的な存在のように、かってに個人的に感じている。わずかではあるが、私は直接数回東京にいるころ、勝手にお邪魔しお会いしたことがある。

 

本当に書いている文章と生き方に嘘がない、非常に珍しい方だとおもう。そして何よりも本質的に弱者に対して優しく、時代の表層の奥深くに切り込んで考察する視点は、新鮮でいろんなことを教わっている。流されやすい私にとっては、いつも座標軸のように、今現在も頼りにしている。

 

(おそらく、氏の本に出逢わなかったら、富良野に行くことはなかったかもしれない。まっとうに生きるということはどういうことなのかいまも考え続けている)

 

ミーハーな自分はいま持って変わらないが、ほんのわずかではあれ、昔よりは流されながらも、何かを考え続けてゆくことをあきらめなくなったのは、多分に氏の影響があるのではないかと思うし、生まれて初めて岩手の大槌町にボランティアに行ったのも、新也さんの行動力に自分も何かしら突き動かされたからだとおもう。

 

先ほど、ゆっくりと、このところの氏のトークを読んだのだが、いろんな視点、角度から様々なことを知らされて、つくづくWMの読者で良かったと痛感している。弱者や、少数者の側から考えることの大切さは、私の中にも育ってきていて、その延長の思考の中から、オロや祝の島の企画もうまれてきている。

 

もう2年前のことになる。311の数カ月後、銀座の画廊で藤原新也さんの・死ぬな生きろ・展が行われ私は日帰りで最終日に駆けつけ、48点の作品の最後に残っていた一枚を求めたのだが、その作品は我が家にある。階段の壁に掛けられていて、毎日対面している。

 

いつものように論旨にまとまりのない朝ブログ、こうも次から次に天変地異が起ると、何か気分がふわふわと落ち着かなくなりがちだが、こういう時こそ変な情報に惑わされずに、信頼できる方のアンテナの情報を持っていないと、何を信じたらいいのか本当に迷ってしまう。

 

新也さんの信頼できる方の当地からの情報では、水がとにかくたりないとの事なのでわたしもささやかに何かフィリピンのレイテ島、タクロバンの信じられない災害にたいして、何がしかのことをしたいと一庶民としておもう。

 

 

 

 

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