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2013-11-16

明日と来週の上映会のための一文を何とか書くことができました


【オロ】&【祝の島】上映会に来てくださった皆様へ

                               

いきなりはなはだ個人的なことですが、私は五十鈴川だより、というブログを退職後書き始め、退職前から書いていた、囲炉裏通信も含め4年間、毎日ではないにせよ、よたよたと書きつづけています。(オロと祝の島に関しても、何回かを綴っておりますので読んでもらえるとうれしいです)

 

この4年間は個人的にも世の中も、ひたすら混迷の難局の時代と嫌でも向かい合って生きてゆかざるを得ない切迫した情況(人類の曲がり角)が続いている気がします。そんな最中のチェルノブイリ以来の、3・11原発事故をともなった東日本大震災は、私ごときの凡夫にも何がしかの影響を与え続けています。(フィリピンレイテ島の台風災害も)

 

オロと祝の島の2本のフィルムを、今、何故企画するのかは、お二人とも私の先輩であり、大切な友人(と呼ばせて頂きます)津村和比古さんと、本橋成一さんが心血を注いで映画創りに参加されているからです。このような写真映画を創る友人に、我が一回限りの人生で巡り合えたことへの感謝。

 

それから、61歳の今を生きる私にとって私が忘れていた、あるいは私が知らなかった、人間が真の意味で、大切な生きることの、普遍的根本の叡智・尊厳が、静かに写真に籠められているからです。(大きな権力・理不尽な暴力が弱い他者の生活や文化を根こそぎ奪うおぞましさも含めて)

 

オロと祝の島に映る人々の顔は、私が小さいころの、懐かしい原風景の日本人の顔、すでにあの世に逝かれた、ごく普通の当時の戦後のつましい暮らしを余儀なくされていた、明治生まれの祖父や祖母また、近所で出逢ったごく普通の人々のことを呼び覚ましました。

 

あれから半世紀以上の時が流れ、私はようやく人生の晩年に差しかかる季節に、この2本のフィルムに巡り合う幸運を得ました、それも宝石のような友人たちが創ったフィルムに。

 

そして今、稲穂が実り大地にひれ伏し頭を垂れるように、私もようやく何かに向かって頭を垂れたくなる、自分をかすかに感じています。希望の無い人生は無意味に思える私です。他者の困窮に対して、寄り添い、眼をそむけてはならないと思います。

 

今も、世界各地で行われている他者の人生を無意味化し、おびただしい流血・犠牲の上に築かれた、繁栄や栄華は砂上の楼閣のように私には感じられます。

 

日高奉文(ともふみ)20131116日(土)真夜中・記。

今朝のブログは、私の個人的な企画が明日と来週の24日連続して行われる上映会のために書いた一文です。

 

昨日、雨の中2時間くらい葱を畑で、同期のN氏と収穫しました。今日は御休みの予定でしたが、なんとか上映会の文章がかけたので、これから仕事に半日でかけることにしました。サンナンのホープF氏は忙しいのに、明日の上映会にきてくださるし、専務も超多忙のなか、わざわざ足を運んでくださるので、私も時間の許す限り、お役に立ちたいのです。

 

津村さんも、本橋さんも、わざわざ上映会のために東京から駆けつけてくださいます。自分のためであり、それがまた他者のためでもある、そのような大切な関係性が、利害なく成立するような、小さき間接的(ときに直接的)コミュニティを紡ぎたくなってきた私です。

 
昨年2月、宮城でみた風景

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