ネギの薄皮をむく機械の試作品を作っている 専務とF氏 |
ほぼひと月前の文章を消しながら、今日は今日のブログ用の文章を紡ぎながら日々を生きている。わずかひと月前に書いた文章を書いたのも、いま現在書いているのも同じ私なのだが、書いている本人は微妙な違いというか、確実にまるで薄皮が積もるかのように、変化している自分を感じる。
さていきなり話は変わる。秘密保護法案が衆議院を通過した、充分な審議もせぬまま、こともなげにあらゆる重要な法案が通過し、私のような間抜けな庶民はいともたやすく、他のことに気をとられている間に、重大なことは水面下できちんと知らされずきめられる。
そしてやがて、そのつけはあまた無数の庶民が払わされる。いくら国益だ、なんだかんだと言われても、自分たちは責任をとらず知らせず、弱い立場の人たちを、吸血鬼のように扱いながら、かっこつけて太ってゆく国なんて、弱肉強食それで(半分以上の人たちは無関心のようだ)いいと多数の人たちに言われても、私はご免だ、という立場である。
一昨日、カンパを振りこんだ時の手数料は一番安い銀行で420円であった。この十数年いくばくかのお金を銀行に預けて、いくらの利子がつくと言うのか。私たちが納めている税金の使い道にしても、とんと腑に落ちないような使い方がされるということにたいして、もうすこし、せめて大人ならば関心を持ってしかるべきではないだろうか。
こういうことの世の成り立ちに無関心で、声を上げないというのは、やがてはそのつけが、声をあげない側に回ってくるのは、先の大戦で原爆まで落とされて経験してきていることである。
国民益を心から願う政治家ならば、大切な情報こそ国民に知らせるべきではないかと思うが、国民をはなから無視しているかのような、現政府の姑息なやり方は、一個人としてはなはだ腑に落ちない。私のような一庶民でさえおかしい時代の流れを感じていて、朝からこのようなブログを書いている。
不穏な嫌な予感の到来の足音には耳を澄まし、考え行動しないと、まずいと思う。個人的には、はなはだ政治的なことには関わりたくはない性格なのだが、自由な表現、平凡な生活が脅かされるようなことは、何としても勇気を持って声をあげなければと思う。
選挙にもいかない、政治にも無関心、世界の痛みにも無関心では、あまりにもさみしい大人たちが住んでいる国というしかない。
今朝の私のブログは一人でのバーチャルなデモである。ヒトそれぞれに、やり方の方法がある、思考の動脈硬化を避けて、各々がユーモアを失わずにアクションを起こす時代がきているとおもう。
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