サンナンの農業部門を支える若きF氏の後ろ姿 |
怪我の私を含め、季節の移ろいの中、風邪で体調を崩していた娘や妻が、なんとか回復し、昨夜はサンナンの葱をふんだんに使った、葱鍋を妻がつくってくれ、いろんな意味で温かい夕食タイムを過すことができた。
それにしても、フィリピンの空前絶後の台風被害の映像には胸がふさがれる。お茶の間に流れる映像でこれだけだから、現地の実態は想像するだに、すごいに違いない。そんな中でも、赤ちゃんが生まれてきている、亡くなってゆく赤ちゃんもいる。
生まれゆく時、亡くなってゆく時、なんとも運命的不条理に対して、私は言葉を控える。つましくも、家族で温かい鍋を、仕事をした一日の終わり、食することの恵みに関して、素直に謙虚に感謝する位のことしかできない。
話題を変える。先日サンナンの畑のそばに、妻にプレゼントされた西条柿の苗を移植した。実をつけるのは数年先のことになるだろう。だがよしんば自分がその柿を食べられなくても、いつの日にか、誰かの悦びになれば、今後も可能ならいろんな果樹を植えてみたい。
植えれば何がしかのことが起こる。アクションを起こすのが、アクターだろうと考える。
先ずはたった一本の柿の木くらいからしか植えられないが、土地がないので我が家には植えられない。土地さえあればいろんな野菜や果樹が手の届く範囲で植えられる、ということの幸せを噛みしめる最近の私だ。
10月1日の、開墾から始めた畑地がようやく葱を植えられるくらいの畑になり、来年の春には収穫する予定の葱を、ゆっくりと手作業(女性二人で)で植え付けてゆく地味な仕事が始まりました。私は、昨日は午後一人で日が沈むまで、トラクターで畑をひきました。
仕事を終えるころ真っ赤な日が沈み、と同時にかなりまるくなったお月さまが姿を現しました。かなり広い開墾から始めた畑をトラクターで土をひいて細かくしていると、あの荒れ地がこんなにもきれいな畑に生まれ変わったことに、始めからかかわった者として、ささやかに、感動を覚えます。
何事も全てはゆっくりとしか進まないと痛感します。急ぐとつまずく、ゆっくり進む者だけが遠くまで行ける、気骨が身体全体から醸し出されていた城山三郎さんの本で知った言葉だ。
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