休耕地に放置されていたトラクター雑草に覆われていた |
もっと時間が経って、少し落ち着いてから書こうかと考えていたが、想像以上にやりがいのある仕事に巡り合った。仕事にでかける前に、とにかく、私の五十鈴川だよりを開いてくださっている方にご報告したい。
10月1日から私が始めた仕事は、小さな金属加工会社が二年前から取り組み始めた農業部門です。10月は週4日程度だったのですが、11月からは週に5日働いています。
こないだも書きましたが、まだ投資している段階なので最低のスタッフで働いています。当初はパートタイムでもいい位の感覚だったのですが、徐々に働くのが面白くなり、専務が働きたかったら、好きな時間にきてもっと働いていいよ、と言ってくださったのです。
今時の時代、いい年齢の私にこんなことを言ってくださったのですから、単細胞の私としては意気に感じてしまします。仕事の内容に関してはおいおいゆっくり綴ってゆきたく思っています。
昨日、休耕地の開墾から始めた畑を半日トラクターでひいたのですが、富良野で免許はとっていたのですが、運転することはなかったトラクターを61歳で初めて動かしています。そのほか、チェーンソウや草刈り機なども使います。鍬も鎌もいろんな農機具を使います。
金属会社なので、葱の選別機なんかも自前で作り、組み立てなんかもするのです。私にとっては初めて経験することが多いのですが、なにしろ富良野でやったこと、夢が原でやったことが、いろんな面で役に立っているので本当にやりがいがあるのです。
富良野でも最初から、夢が原でも最初から、この仕事も新しい部門の本格的な立ち上げに最初から参加できるのは、幸せなことだと思います。
何と言っても、一番嬉しいのは数は少ないけれど全員のやる気が満ちているということです。なにしろ専務が率先垂範、自分がやりたく立ち上げた部門なので、やる気満々なのです。それが私に伝わります。ただ単におお金のために働くのではなく、食と農を通して働くことの中から、何かを見つけようとされているのです。
まだ働き始めたばかりですが、会社から必要な人材として遇されるということは有難いことです。年齢には関係なく実力とやるき次第で、仕事ができるかどうかが問われます。
青空に浮かぶ白い綿雲の下、大地に立って働いていると、私は無心になれます。気がつくと時間が過ぎてゆきます。祝の島の平萬治さんのようなお年寄りを目指します。
「CULTURE」の語源となった産業ですね。
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