昨日午前中、雨の中草刈りをし午後赤穂線で岡山へ。駅で瀬政さんがピックアップして、その足で岡山生涯学習センターほかを、ウカマウフィルム作品自主上映会場探しに二人で動いた。
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| 下記に記します。 |
禁酒会館、小さなスペースではあるが、あくまでもウカマウフィルム作品を、岡山で上映する場所としては、私にはぴったりだと思えたので、最後、瀬政さんにも見てもらいたく案内した。
やはり仲間である。結果すんなり二人でここでやろうと決断した。50人もはいればいっぱいだが、まもなく築100年を迎える禁酒会館は、ウカマウフィルム作品を上映するのにふさわしく私にはおもえる。岡山市内の中心部、アクセスも知名度も申し分ない。
相棒瀬政さんと私はとりあえず、上映場所が決まったのでほっとした。場所さえ決まれば後は少数の仲間で、一つ一つクリアしてゆけばいいのである。その後二人して瀬政さんの北方の庵に向かった。その小さくも諸設備が充実した庵で、すでに瀬政さんが購入しているDVD,ウカマウフィルム作品の[鳥の歌]を二人きりで見る。
ひっそりと二人だけでの試写会である。私は鳥の歌で長編は五本目である。内容は割愛する。(五作品の中で一番面白く見ることができた、カラー作品、仕掛けが随所に)テーマは共通しているが、表現方法、スタイルは創られた時代と共に変化している。作品を見るごとにあらためて、私にとって未知のフィルム世界であることを突きつけられる。内容はあまりにも重いのだが、あくまでもフィクションなのである。
瀬政さんは初めて私が鳥の歌を見るので、大きいゆったりした椅子を譲ってくれ自分は小さいいすに。始まって間もなく、美味しいお茶も淹れてくれた。このような思わぬ方丈の庵で鳥の歌を見ることが出来て、私は幸せである。試写を終え、何と瀬政さんは私を家まで送ってくれた。至れりつくせりでの感謝を五十鈴川だよりに打たずにはいられない。
晩年時間、確実に死を意識せざるをえないような年齢になると、長年の関係性の蓄積による、信頼感の上での揺るがない仲間がいるという在り難さは例えようもない。
やすきに流されず、表現活動を持続するのは普段から気心の知れた仲間がいないとまず無理である。北方から西大寺までの車中、とりとめなき話を、気楽に語り合え、苦楽を共にできる仲間がいなければ、ウカマウフィルム作品の自主上映会は出来ない。
小さい場所で、ウカマウフィルム作品を自主上映する。仲間は私を含めほとんど高齢者である。企画をするのに年齢は関係ない。高齢者が絵を描くように、小さくも大きい志の企画はやれる。企画に賛同する仲間を持て私は幸せである。
PS 上の写真は齋藤孝さんの本。読み終えたばかりである。関心のある方は手にして欲しい。すぐに読めるが内容はとても重い。齋藤さんは数十年前から音読の必要性、日本語の危機を説いて来られた、知的教養人である。
下の写真は、たまたま図書館でみつけたのだが、齋藤さんと共通する危機意識をお持ちである。折々、私も一個人として、孫たちには爺なりに日本語の面白さを伝えたい。二冊ともとても読みやすい。的確な提案、知見満載である。
日本語は大きな国に言葉を奪われた歴史がない。齋藤さんのウイグル自治区で中国政府が行っているウイグルの言葉のジェノサイドは気持ちが悪くなるほどのものだ。長くなるので割愛するが、ウカマウフィルム作品は私の能天気に生きて来れた、これまで歩みを、根底からくつがえすといって憚らないほどに、反省、再考を迫るのである。


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