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2026-09-22

休日、菜園場の草刈りと草取りをし、(終えて倉庫で読書)秋の空を眺め、そして想う。

 連休だが何処にも出かける気が起こらない。あれだけの充実した夏休みが過ごせたことの余韻は、未だ老いた体の中に色濃く残っている。機が熟する。タイミングを逃すともう2度と取り返しがつかない、と言うことがまま人生にはあるような気がする。


そういう意味でのこの度の夏休みは、私にとって、きっと後年もっと老いて、いろいろな事がやれなくなったときに、鮮やかに脳裡に浮かびあがり、穏やかに老いを受け入れるられる、と思えるほどに、よき旅が実現した。そのことのささやかな極みの幸福感を、打たずにはいられない。

昨日午前中、仕事場の倉庫(いまや私の隠れ庵でもある)で、読書と草刈りと草取りをした。基本、老いたら手の届く範囲での時間の過ごし方をひたすら充実したい、というふうに想う。ドレスデン、レイさんのお父さん、ペーターさんのガーデンで過ごした、僅か数日の時間の気持ちよさは格別で忘れられない。その事一つをとっても、黄金の実りの旅であった。



私もあのような時間を基本に生活を組み立てたいと、今切に思い始めている。娘がレイさんと結ばれなかったらこのような意外性の極みのような旅は叶わなかったであろう。まさに人生は思うようにはプログラミングできないのである。何がしゅったいするか予測できない、からこそ人生は辛くとも、しかし面白いのである。(とおもう側を私は生きたい)

心体の発する奥底の声に従い、基本的に家族や価値観を共有する仲間との時間を最優先し、あらゆる関係性を順次手放しつつ、どうしても手離せない物に囲まれて生活する。よほどのことがない限りである。企画もこれが毎回最後という気持ち、移ろいゆく体で精一杯成せる事に、エネルギーを集中したいのである。

草を抜きつつ考える。本を読みつつ考える。雲の流れを眺めもの想う。未知の世界を知る勇気を養いたいと、切に念う秋である。

PS 見渡せば、スマホばかりのこの世かな、幸せは、スマホの中に、有るや儚む。(松岡正剛先生から教えていただいた歌、見渡せば、花も紅葉もなかりけり、浦の苫やの、秋の夕暮れ、をもじってみました)




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