東京からもどると、4月30日の香川、岡山での共通フライヤーとハレノワのチケットが香川のH氏から送られてきていた。送られてきたチケットの枚数は100枚。個人でこの枚数を完売することができるかどうか。私にもわからない。これから2ヶ月、すでに知っている友人知人はともかく、未知の人になんとか半分くらいチケットを行商行脚したいと、私は自分に言い聞かせている。
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5月で2才になる、レイさんが撮った |
家族は私の年齢的なことを十分に勘案して、フライヤーの配布やチケットの行商などは控えた方がいいと心配してくれるのはありがたいことなのだけれど、こればかりはいかんともし難く、スパイラルアームズ、私が動かないことには、チケットはさばけないのを、私自身が深く承知しているからである。
私は私の性格を、どこか能天気天の邪鬼と自認している。無名ではあれ、自分が凄いと思うアーティストを小劇場ではあれ、ハレノワ300席を満席にしたら愉快で痛快である。私のような高齢者企画者の心をこれほど熱くさせるアーティストは土取利行さんと猪風来さんしかいない。だから昨年から度々五十鈴川だよりに打っている、のだ。
ところでいつものように話は変わる。仕事として企画を成していた中世夢が原時代とはまったく異なり70歳からは、自分の感性、心が動いたアーティストだけを企画している。もうこの年齢になると、自分ではいい意味で限り無く我が儘に自由に企画したいという思いががぜん強くなってきているのを、否定しない。
だからこれまでの人生で出会え、今も交友関係性が持続している古い友人に思いを伝え、厚顔を承知で支援カンパを募るところからスタートしたのである。詳細は割愛するが、意外な反応といったらカンパをしてくださった方に大変失礼だが、そのような反応が寄せられていて、人間性、人間味、人間という存在の揺れ動く多面性を、改めて私に知らしめている。
先日23日の夜8時半、稲城の長女の住むマンションに、私に会いに来てくださった相模原に住むM子さんとの交友は35年以上である。夢が原で働いていたとき、わざわざ夢が原での私の企画にあしを運んでくださったこともある。今回もいち早く支援カンパを振り込んでくださったかたである。
その方にどうしても郵送ではなくちょっとでもお会いして御礼を伝え、土取さんのCDや猪風来さんの本、原野さんの絵本、作品集を手渡したかったのである。実現して本当によかった。義理の息子のレイさんが暖かくもてなしてくれ、午後9時半頃帰ってゆくM子さんを見送ったのだが、ただただありがたかった。
だが、話はこれで終わらない。M子さんが帰ったあとレイさんと少し焼酎を飲みながら話をしていたら、突然レイさんが私の今回のハレノワでの企画にたいして、M子さんのようにカンパすると言ったのである。私はよもやまさか、レイさんがそのような事を言うとは思いもしなかったので、ビックリした。そこで夜中、フライヤーを作ってくれているNさんに、支援者の名前に日高レイの名前を追加して欲しい旨メールをいれたのである。
私とタッグをくんでくれる10数名の高齢の私の友人たちの輪の中に、義理の息子のレイさんが加わったのである。レイさんは30代後半、新しい世代の仲間が支援者に加わってくれたことの喜びは例えようもない。それも家族を代表して。
レイさんとは国籍や世代を越えていろんな話が日本語でできる。日本人と話ばかりしていると視野狭窄に陥る。地球の未来はリア王の最後の場面ような風景思い起こさせる。土取さんや猪風来さんはワールドワイドの視野を持つ真に稀なアーティストである。岡山のハレノワでのスパイラルアームズ公演、動く老骨人で、今を生きたい。
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