昨日は午後3時に学校から帰ったノアとお習字教室につれて行き、私もノアと同学年で、お習字を共に習っている女の子がお稽古するのをそばで見ていた。若い女の先生が厳しく、ときに優しく指導しておられたのが印象に残り、ノアはいい先生に恵まれたのだと、私には思えた。
戻ってほんの少し、ノアに漢字やひらがなの書き取りの稽古をするのを手伝ったりしている間にレイさんミアを午後5時半過ぎマンションのすぐそばの保育園に迎えに行った。もどって夕飯の準備、レイさんが仕事の合間に、パスタをゆで私のために作りおきのカレーを温めてくれたりして、お母さんはいないけれど、リモートで少し参加しながら、4人での夕食、私はただただ、レイさんの心尽くしをいただき、久しぶりの孫たちとの夕飯を感謝した。
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(かいがいしい、という言葉が、ミアをケアしながらのレイさんの姿に、私は感動した)
夕食を終え、私とノアはお風呂にゆったりとつかり、湯からでたあとノアの部屋で横になっていたら、朝が早い私は強烈な睡魔におそわれ、しばし沈没、午後8時半就寝時間がやって来たノアに起こされ、約束通りノアにヨシタケシンスケさんの絵本を2冊読んでやると、さすがに一年生の成長したノアは聞き分けよく、2段ベッドの上に移動、あっという間に眠りに落ちた。
私もまた、再び眠りに落ち、朝6時過ぎに起きてみると、6時半すでに朝食が準備されていたのには驚いた。いまこの五十鈴川だよりは、ノアは小学校に行き、ミアは保育園にゆき、レイさんはリモートで自室で仕事をしているので、誰にも気がねなく打てる。ベランダから背中に冬の日差しが、部屋のなかだから暖かい。
まるで日記、記録のようにわずかではあれ、綴り打っておきたいという、老爺心は平凡な日常生活への讃歌への気付きの深まり、以外のなにものでもない。ノアの通学路信号機が出来たので、そこまで見送っていったのだが、学校に向かうすべての子どもを朝の陽射しが照していた。
さて、いきなり話は変わるが、今回の上京旅に持参した本はただ一冊、タイトルは【戦争語彙集】オスタップ スリヴィンスキー作、ロバート キャンベル翻訳である。持ってきてよかったと、思う。
多くを語りたくはない。多くを語ることにも、正直もう疲れている。が、そうはいっても、元気な間は、どんなことがあって戦争や平凡な日常を脅かすような、ある日突然の、狂気的な振るまいには断固としたノーであるとの、決意は高齢ではあってもなんとしてもなくしたくはないものである。
悲しいかな人は老いる。孫たちは輝く。でもそれでいいのだと自分に言い聞かせる。私の両親も子どもたちの行く末を見守り、静かにこの世から消えていったのだと思うけれど、きっと納得していたのに違いないという安堵感のようなものを私はかんじる。
あまり言葉にしたくはないのだが、敢えて言葉にしておく。もうどこか私は現世に生きているのではなく、どちらかといえば、この世とあの世の真ん中辺りをさまよっているような感覚におそわれながら日々を生きている。だからなのかもしれない。もうほとんど昔のようには現世的な悩みのようなものにとらわれなくなってきている。水が流れる方にしか流れないように、私も流れて行きたい、ただそれだけである。
思想信条はまったくない、高齢でくの坊の私が大事にしていることは、限りなく少なくなって来ている。もうほとんどを手放しつつあるなか、どうしても手放せないものだけを大事にして行きたいと思う最近の私である。お見送りや、ちょっとした役に立つだけでも私は嬉しいので、そのような年寄りを可能なら一年でも長く生きることができれば、もうなにも私には必要がない。(今年の企画が無事にすめば、限りなく私は超シンプル老人ライフへシフトするように思える、家族や長い交友のかたたちと、ただ関係性を深めたく念う、そして意味もなく旅がしたい)
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