今日から2月である。わずか一日で気分が変わるのだから、当たり前という他はないが、人間はいいかげんなものであり、私なんぞはそのさいたるものであるとの自覚が年々深まる。
とは言うものの、年明けそうう発熱し、ダウンしてなんとか立ち直って以後は肉体労働に復帰し、なによりも足元の日常生活をたんたんとこなしながら、春のハレノワの個人企画に静かに向かっている。
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ブレディみかこさんの短編集、面白い。 |
もう毎度同じようなことの繰り返しのような五十鈴川だよりであるのを、どこか承知しながらも、寝ておきて新しい一日を、本人はできるだけ新鮮に過ごしたいという老人性願望を、備忘録的に打つ続けているといった塩梅である。
話を変える。昨日、午前中約2ヶ月ぶりに瀬政さんと、シェイクスピア作品の【オセロー】のリーディングを我が家のリビングで正味2時間ほどやった。私が余裕がなかったのでしばらくできなかったのだが、一月末日久しぶりに実現した。
オセローの二幕と四幕、もう何度も書いているが瀬政さんがシェイクスピア作品の音読を始めたのは71才、昨年の3月、マエストロに聞け、からだから間もなく一年になろうとしている。
正直、よく続いていることに感心している。現代日本語に翻訳されている松岡和子先生の作品をリーディングしているのだが、要所要所、私がこれまで馴染んできた小田島雄志先生(どちらの翻訳が優れているとかの比較の問題ではなく)とは異なりまったく新しい気持ちで新鮮にリーディングできるので、まさに時間が瞬く間に過ぎてしまう。
約30年間のブランクの後、61歳からシェイクスピア作品の音読を始め、コロナで公の場でのレッスンはやってはいないが個人的には持続、昨年からは松岡和子先生の翻訳でまっさらな気持ちで公に再開したのだが、丸12年が過ぎた。
マエストロに聞けが終わり、続ける人がいなければシェイクスピア作品のリーディングもあきらめようと思っていた矢先、瀬政さんがシェイクスピア作品の音読を継続したいとの申し出。正直よもやまさか瀬政さんがシェイクスピア作品の音読を継続するとはおもいもしなかった。まさにハムレットの言葉【この天と地の間には哲学などでは及びもしないことが起こる】のだ。
妻は仕事で家にはメルと花が居るだけ、高齢者二人が、オセローの全登場人物を交互に音読する。たかが音読されど音読、瀬政さんは何せすべて初めてなのである。蓄積がまったくないのである。だが継続している。高齢者があのシェイクスピア作品の膨大な長い台詞をいきなりリーディングするのは、まったくもって途方もなく大変なことなのである。
体に付加がかかっているのは容易に推測される。途中休憩を入れて2時間ほど、一旦始めたら集中力と持続力が求められる。それでもあえて瀬政さんがシェイクスピア作品の音読に挑み続けているのは、きっとシェイクスピア作品の面白さを読むほどに体で発見しているからだろう。それとやはり、音読は体にとってとてもいいということを、瀬政さんが自分の体で実感しているからだと思う。
音読するほどに、日本語の言霊がお互いの体にしみわたり、オセローの嫉妬に猛り狂う言葉、イアゴーの知謀策略の言葉、デズデモーナの天真爛漫な言葉、あまりにもの意識心理のズレの悪魔的的小宇宙に誘われてしまう。なんという人間の存在の不条理、理屈抜きにシェイクスピア作品は途方もなく面白く、なんといっても今だからこそシェイクスピア、現代に通ずる。
ドラマ、劇的小宇宙自由世界に身を委ねる二人。いつの日にか、ささやかに、ささやくかのようなプロには出来ない、ミニの高齢者発表会ができたら夢のようである。
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