この年齢になると、いよいよもってあれもこれもはできず、ということを実感しながら、やれることを少しずつ進めている。平日はフルにではないが、肉体労働をしているので、ここいちばん集中力をもってやらなければならないことは、土曜日曜日にやることにしている。
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1月21日猪風来縄文美術館にて |
五十鈴川だより、かなり日録的になってきているのを自覚している。今週何をやっていたのかを忘れないうちに、打っておかねばとのおもいが増してきているのだ。振り返り記録を確認するかのように打っておくことを習慣化することが、脳のセロトニンを増すのでは、という淡いおもい。自分で自分のモチベーションをあげてゆくのである。
ということで昨日は、ハレノワでのスパイラル・アームズの4月30日の公演の案内、お願いの一文を朝いちばんに書き、同封する私がこれまでに書いた拙文を2枚含め、3枚をいれ、墨を擦り宛名だけ小筆で書き(あとは万年筆)、40通以上を仕上げた。今日はその宛名の方々に一筆いれて、投函する。
まだフライヤーもできていないのに、自分が近しく感じている友人知人へ一文を書いて、お願いをするのは、仕事ではなくリタイヤ後、再び今回のような企画をするようになってからである。庶民の私の個人企画イベントは、規模にもよるが一人で背負うのはまず無理である。
だから、できる限り友人知人の他力の応援を仰ぐべく、知恵を絞って私は私なりの方法を思考実践するしかないのである。時代遅れ感覚を十分以上に自覚している私だが、幸いなことに、私の苦手な分野をカバーしてくれる、妻や家族の応援があればこそかろうじて、この数年の企画が実現しているのである。
それとこれまでの人生で出会えた貴重な友人、知人の存在なくしてはまったく実現することは叶わなかったであろう。私の友人知人も当たり前、年齢を重ねているが、土取さんや猪風来さんはもっと年長である。外見はそれなりの年齢を感じさせるが、その内面の輝き、泉のような枯れない若々しさは、いったいどこから醸し出されてくるののであろうか。謎である。
土取利行さんからの依頼があったとき、思ったことは企画を受ければ、少しでもその謎をかいまみえるかもしれないし、なによりも小さな世界に安住し、ややもすると守りに逃げ込み、好好爺に成り下がってしまうのではないかとの怖れを、払拭するのにはまったくもって、最高のタイミングでのオファーであったのである。多分、土取利行さんでなければ引き受けてはいない。
そうはいっても、私は自分のやれることをまったく過信してはいない。もっと打てば、もう年齢的に、イベント企画にはほとんど関心がなくなってきていることを、私は正直に告白する。(ひとりでやれることに関心がシフトしているのである)
そしてもっと正直に告白する。自分で言うのも気恥ずかしいのだが、土取さんや猪風来さんの、世界の行く末に対するあまりの真摯なこれこそが芸術家とでも言うしかない直感力的危機感、(裏返しの人類のみにとどまらないあらゆる生き物に対する愛の深さ)をようやくにして深く共有実感できるようになってきた、己を感じるからこそ、例外、土取さん猪風来さんとはなんとしてもタッグを組みたいのである。
お爺さんではあるが、これまでに、私なりに学んできた方法で、地を這うようにチラシを配布して歩きたい。顔の知らない、未知のどこかの誰かの目に触れるように。反応してくれるように。土取さん、猪風来さんの足跡は圧倒的に傑出している。若いかたにこそ知ってほしい。
土取利行さん、猪風来さんの前人未到の荒野を、黙々とただ🦏のように歩み続けている稀な人間アーティストを企画できることの、喜びが私の今を限りなく活性化させている。
PS 写真は1月21日土取利行さんが猪風来縄文美術館を訪ね、2時間秋のイベントについて打 合せをしたさい、土取さんに32歳の若さで逝去されたご子息村上原野さんの遺作となった作品について、お話をされている猪風来さん。
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