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2025-01-06

大晦日、寸暇打つ、五十鈴川だより1。

 大晦日の朝食後、寸暇打つ五十鈴川だより。昨日から次女の旦那さんと、3才の葉君が加わり、9人のまあ大家族となり、我が家は3人の孫たちの声があちこちで響きわたっている。

右望晃(のあ)6才、左葉3才、共に遊ぶ

私が打っているそばで、ノアが冬休みのお勉強をしている。そうこうしているうちに、葉がやって来て、私の膝の上に座り、とても落ち着いてブログを打つなんてことはまず不可能なのであるが、この喧騒の中でも打つ楽しさのようなものが私にはある。

妻や娘たちは、洗濯物を畳んだり、洗濯物を干したり、あれやこれやの家事に忙しい。その合間本を読んだり、歌を歌った利と、孫たちとのお相手に余念がない。何せ孫たちは、一瞬たりともあらゆる動きをやめないからである。

そして私は、その女性たちの動き、若い私たちの世代とは異なる、現代の子育て真っ最中世代の、悲喜こもごもを寸暇垣間見しながら、改めて子育ての大変さを勘案しながら、私のような爺さん世代がお役に立つことの重要性を、娘たちの子育てを年の瀬共有しながら、現代の家族のあり方を、嫌でも考えざるを得ないし、そのようなことをつい思ったり、考えたりすることで、高齢者の役割の今なすべきことが、やんわりと見えてくるような気がするのである。

幸いなことに、無事に家族が集い、このように能天気に大晦日、五十鈴川だよりを打てることの平凡な喜びを、心底私は堪能している。このような平凡な当たり前の慎ましき喜びが、いかに非凡な出来事であるか。と、まあここで一旦中断。

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