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2025-01-12

佐藤勝氏の、知の技法を読みつつ、ひたすら体調を整える。

 少しずつインフルエンザの症状が快方に向かっているという安堵感が私を五十鈴川だよりに向かわせる。栄養をつけ、やり過ごす、忍耐、辛抱という言葉を呪文のように繰り返す。このようなことを打つと何やら深刻感が漂うが、当人は至って気楽に過ごしている。鼻水がおさまればもうあとはほとんど生活に支障はなくなってきている。

今年最初に読んでいる本

これで妻の体調が戻れば、私としてはいうことはない。幸い3連休なのでここはじっと我慢をして、外気に触れることは避けて部屋のなかでじっと、昨日も打ったが猫のようにじっと生活、本を読んで過ごしている。

手にしている本は、佐藤勝著、知の技法である 。今から10年前に上梓された本の文庫版である。おおよそ2005年から2015年までに書かれた文章や対談が、講座形式で全10講座にまとめられている。

出版された当時も手にしたはずなのだが、内容をどれ程深くつかんでいたのかはまったくお恥ずかしいほどのものであることを、この度再読して(今212ページまで読み進んだところ)痛感している。

(それにしても佐藤勝さんの視野の広さ、記憶力の底しれなさには脱帽舌をまくしかない、よくもまあ、このようなスケールのでかい知識人が出てきたものである。わたしにとっては分野は異なるが土取利行さんと双璧である)

読み進めて思うことは、逆境に強い氏の思考方法がいかに培われてきたのかの、一端を垣間見ることができるという点で、以前はちんぷんかんぷんに思えたほどに遠く感じられた文章が、かなりすいすい読めるようになり、読んでいてへーっといたく知的刺激を受けることが多くなってきている。だから読める、面白い。

大学も出ていないわたしは、佐藤勝さんの(かってに私の先生だと思っている)知的胆力に畏怖の念を覚えるほどの仰ぎ見る本物の知識人だとかってに思っている。佐藤勝さんが国策捜査で理不尽な判決で有罪逮捕され、512日間東京拘置所に収監され、出所後出版された本の、国歌の罠、外務省のラスプーチンと呼ばれて他、が私などのごく平均的な庶民にでさえ与えた衝撃は、オーバーではなく思考のコペルニクス転回を迫るほどに衝撃的なものであった。

今から10年前に出された本ではあるが、今読んでもまったく新しく読める。読んでいる私があきらかに変容(いい意味でととらえたい)しているからこそ、まったく新しい本として読めているのだし、読む速度が遅くなったとはいえ、教養が生きる上で最強の武器であると学ぶことの醍醐味をこれほどに赤裸々に伝授、説得力をもった知識人を他にわたしは知らない。

佐藤勝さんは筋金入りのキリスト教神学者である。佐藤さんの本を読むまで、神学という学問があることさえ、わたしは知らなかった。それほどまでにわたしは、今もだが無知である。だが学ぶことの面白さ、独学の有り難さはふかまっている。(ように感じている)

古稀を過ぎて世俗的な動向他にとんと関心が向かわなくなりつつあるし、この事がいいことなのか、たんなる老化現象なのかは、しばらくおくとしても、私としては佐藤勝さんの本や、佐藤さんがおすすめする本を、これからいよいよ生きているうちに学んで過ごしたいという、老いらく学び願望は増してきている。

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