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2025-02-16

スパイラル・アームズのフライヤーを依頼したNさんと我が家で昨日対面での打合せをしました。そして思う。

 ハレノワでのスパイラル・アームズの岡山バージョンのフライヤーを依頼しているNさんと、昨日我が家でお昼から約2時間打合せをした。すでに何度かメールでは思いを伝えたりはしていたのだが、対面での打ち合わせは初めてである。

バイト先で見つけた蜂の巣

この数年何度も依頼しているので、私の人となりはかなり把握してもらええているので、かなりの時間一方的に私のこの公演にたいしての思いを伝えた。私の土取利行さん率いるスパイラル・アームズへの今の思いが少しでもNさんに伝われば、きっといいフライヤーができると信じたからである。

この企画の依頼メールが来たときの経緯はすでに昨年の五十鈴川だよりに打ったので重複は避けるが、当初現在の私の体力でこの企画を引き受けていいものかどうか、暫し逡巡したのはたしかではあるが、結果私は引き受けた。単純な私は一旦胆が決まればもう進むだけである。

あれからはやくも2ヶ月以上がたち、紆余曲折を抱えながらも、私なりのやり方で労働しながら一歩一歩進めている。そして現時点で岡山バージョンのフライヤーの打ち合わせが行われたというわけである。長くなるのではしょるが、今回の企画は、土取利行さんとの、長年の交友関係性で舞い降りてきたお話なのである。

体力的には、とうの昔に全盛期はすぎ、老境に入りつつある今の私にもたらされた、この企画、ハレノワ小劇場300席を満席にできるかどうか、デジタル音痴の、時代の流れにまったくついて行けない私には、ハードルが高いというのが正直なきもちなのである。

が、一旦引き受けたのだから、潔く引き受け、あとはやれるだけのことを、仲間に呼び掛け、老人力を結集して、他力の力、小さくても強い老人風を吹かそうと、覚悟を決め、古い友人や長いことご無沙汰しているこれまでの人生で出会え、関係性が持続している面々に、率直な私のおもいを伝えるところから、開始したのが一月の半ばすぎからである。

カタツムリのように歩みは超とろいが、確実に歩を進めているという実感が私を支えている。300席を埋められるだろうかとか、昔だったらおもい悩んだかもしれないが、(もちろん埋めるつもりではいる)もうそういうことに思い煩う年齢ではない。腹をくくるとは、収支を含めすべての責任をとるということである。

そのようなことをどういうわけか、40代からずっと我流でつづけてきたおかげかもしれないが、私にとって企画するということは、どこか腹をくくるということと同義なのである。素人が、仕事でもなく企画をする、引き受けるということは、覚悟を決めるということなのである。

一言で言えば、土取利行さんは私に覚悟をさせる、それに値するアーティストだからこそ引き受けているだけである。土取利行さんはそんじょそこらのプロの演奏家、パーカッショニストではない。この現代の底知れない、全世界が、人類が抱え込んでいる漆黒の深い闇を、見えない音の波動で照らす、言葉では尽くせぬ哲学者、アーティストである。だから私ごときが安易に引き受けるのは、冒険以外のなにものでもない、のだが名誉である。

話を戻す。昨日打合せを終えたばかりなのに、真夜中Nさんから、私のおもいを汲んだフライヤーの原案が送られてきたのを、今朝起きたばかりの体で見た。打合せの重みを感じた。私は気に入った。これでいこうとNさんにメールを送った。今朝の五十鈴川だよりはそれをアップする。

感動する。体がワクワクしなくなったら企画はできない。人間は泣き笑い憎み嫉妬しあらゆる感情を抱える自分でも御しがたい、とてつもなく摩訶不思議な、絶えず変容する器である。私の中の感動するバネのようなワクワク感が、思春期からあったればこそ何とか生き延びるることができ、いまもかろうじて企画ができているのだと、勝手に思っている。

PS タブレットの調子が悪く、写真がアップ出来ないので今日は文字だけの五十鈴川だより。後日写真をいれることにします。ご容赦ください。(代わりに蜂の巣の写真をいれます)

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