この一週間かなりの寒波のなか、なんとかフルタイムではないが、労働を合計30時間やり、待ち遠しい土曜日の朝がきた。正直もうやりたくはないとおもう日もあったが、結果的にはいろんなことを考えることが出来てよかった。
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長女の2番目の子供、未彩、5月で2才 |
家で静かに考えても、私の場合ほとんどいいアイデアや、思い付きが浮かばないのだが、体を動かして労働しいていると、血が流れ始め、雲の流れや風の音や野鳥の声に耳を澄ませたりしていると、あの人に連絡してみようとか、体が動き始めるのである。だからおそらく、先のことはわからないにもせよ、ひとつの啓示としてきっと労働が億劫になってきたら、企画する意欲が失われて来るのだろう、と考える。
だが、ありがたいことに間に合った。今年は何やら私の老人力は、なぜか今のところ不思議なほどといえるほどに、自分でもおかげの力で、ありがたやの力をいただいている。今がすべて、今がすべてと呪文のように唱え、新しい一日を生きている。
話は変わる。知らなかったが、私は統計とか、データとか、をほとんど頼りにしない人生を歩んできた。(いろんな人や書物に影響を受けてこの年齢まで生きてくることが出来た)
私がこのようなことを五十鈴川だよりに打つのは珍しいのだが、日本人の男性の平均寿命は、82歳、健康寿命が73歳であるとものの本で知らされた。気がつくとあと5日もすれば私は73歳になる。おかげさま、他人と比較するなんて野暮の骨頂、私は私の今を生きるしかない、当たり前の摂理を日々受け入れながら生きている。
ただおもうことは、寿命はまるきり私にはわからないし、健康寿命などという言葉自体が私は苦手である。命の終わりは何時なんどき訪れるか誰にもわからないし、健康寿命の終わりも何時なんどき訪れるかは、誰もわからないのである。だからこそこの年齢での日々を、私は慈しみ(このようなことを打つとどこか気恥ずかしいが)一日一日可能な限り悔いなくいるのだと、キザだが寒風のなかで、ものおもうのである。
73歳、まったくまたもや未知のゾーンに入って行くなかで、4月30日ハレノワで土取利行さんと再会(再開)、秋にはまったく未知の縄文世界一筋の、畏人稀人猪風来さんとの仕事が控える。さきほど、間に合ったと打ったが、これは自分にしか分かりえぬ感覚なのである。
満を持して、という言葉でしか言えないし、あらゆるタイミングが、まさに機が熟さねば降ってはこない企画なのである。だから敢えて五十鈴川だよりに打っておく。このような企画が我が人生にもたらされた運命の在り難さが、きっと私の、おこがましくも打つが、元気のもとなのである。
18歳で世の中に放りでて、才能なき我が身に時に絶望的になり、大切な人にご迷惑をかけ、あらゆる人たちの援助、理解のお陰で現在の私がある。あれから55年、やっとと言うべきか、耳を済ませば、命の終わりを微かに感じられるような年齢を迎えている。同年代の私の今をつくってくださった方々が、次々と冥界に召されている。だが、私は生きている。前回も打ったが、死者のエネルギーが私を鼓舞する。
土取利行さん、猪風来さんとお仕事できるのは、55年間の見果てぬ夢の、結実だとかってにおもえる。
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