数日前に73歳になりました、が私の日常生活は普段とかわりなく続いている。古稀を過ぎてからのこの3年は、世間や世界のことはさておいて、こと私自身にとっては、きわめて普通に生活が営めただ存在している。その事がなにわともあれありがたいことだと、日々感じながら生きている。
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気分転換に日本語を書写する |
妻をはじめとする家族からは、今を元気に生きて活動している私にたいして、心尽くしのランチや夕食、労りとお祝いの言葉をいただいて、素直に嬉しかったことだけは、きちんと五十鈴川だよりに記しておきたい。
70才、ウクライナで戦争が始まった年から企画することを再開し、今年で4年連続企画をするなんて思いもしなかった。それも今年は春の4月30日ハレノワでの企画と秋の縄文と大きな企画にかかわれる。
昨年の秋まではよもやまさか、土取利行さんのスパイラル・アームズを岡山で窓口として引き受け、結果ハレノワでの公演をやるなんて考えもしなかったのだから、まさに事実は小説より奇なりという他はない。元気だからできる。企画が元気の源である。
昨年の秋までの私は、もう企画をすることはやめようと思っていたのにである。土取利行さんと猪風来さんはそのような私を再生させたのである。
何が私を豹変させたのであろうか。私にしかわからない感情が、言葉にならない何かが私の中に湧いてきたからとでも言うしかない。自分という生き物、器は移り変わり生まれ変わる。変容する。絶望が希望へとねじれ反転する。裏返る。
昨年12月1日、名古屋のライブハウス、希望へと点火させる爆発的なエネルギーを、土取利行さんのスパイラル・アームズのパーカッションの音の波動に私の体は撃ち抜かれた。私は覚醒したのである。
スパイラル・アームズの演奏を聴いてからのち、猪風来縄文美術館を訪ねてからは、作品がまったく違ったかのように私に迫って来た。(この体験には、今朝はこれ以上触れない)
以来、今月まで私は何度も猪風来縄文美術館を訪れ、今月も先日11日訪ねてきたばかりである。何故かくもなんども訪れるようになったのか?それは私のなかの何かが破壊され、奥深くしまいこまれ姿を消そう、諦めようととしていたものが、土取利行さんの音魂と、猪風来さん、原野さんの縄文土器、村上よし子さんのタペストリーが、あまりにもの生命力の躍動感、魂の輝きが、私の奥深い言葉にし得ない感情を揺り動かしたのである。(言葉にするのが気恥ずかしいので止める)
企画を持ち込んでくださった土取利行さんとの古稀を過ぎてからの再会と、縄文土器一筋50年の猪風来さん、奥さまの村上よし子さん、そして32歳、あまりにもの若さで召されたご子息、村上原野さんとの本質的ともかってにおもえる再会(この3人の創造作品の放つ普遍的輝きは、私のつたない言葉では表しようがない、その一途さに撃たれる。是非体感してほしい)が、私自身の今の生活に言い様のないエネルギーをもたらしているのはまちがいない。
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