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2024-11-30

11月最後の日の、朝に想う五十鈴川だより。

 今日で11月も終わりである。明日からは師走。取り立ててあえて打ちたいということもない。だがなにか一日一日を、できることならきちんと生きて、日々の整理確認をせねば、いわば煩悩がいまだ健在なのだと、いい方向に考える、かってな自分がいる。

ようやく学ぶのが楽しい

土取さんという、自分にとっては得難い交遊歴の蓄積の果てに、高齢者感を暫し蹴散らしてしまうほどの、ざわつきを、この3週間過ごしていたので、有り難き疲れが体を包んでいる。がしかし、心はどこか軽やか感に包まれている。でなければ、私は五十鈴川だよりは打てない体質である。

さて、くどくどは打たないが、ありがたいことに3週間じたばたしたお陰で、とりあえず私なりに来年に向けての肚というか、覚悟はよりふかまった。それはやはり想いがけない支援や応援の声に(これまでとは異なる新しい声が)、私自身が老いを暫し忘れ、漕ぎだしたからこそ出会えたからだと想う。冒険できる仲間と。

年齢はうっちゃっといて、新しい地平へと向かう勇気がなくなったら、私の場合決していいことにはならない。どなたかがいっていたと記憶する。仕事は楽しく、遊びは真剣に、が、モットーである。なにかを手放さないと、新しい地平は見えてこない。現状維持では企画者としては堕落である。

それなりのリスクを抱えないイベントは、私の老いをよけいに加速させ無惨にする。(気がする)その事の方を私は恐れる。何度も書いているが、音読レッスンとちがって企画は仲間が絶対に必要である。今回の企画に乗船してくれるチームの数は少ないが、強力なメンバーがこんなに短時間で見えてきたことが嬉しいのだ。すべてはハムレットが言うように、覚悟がすべてである。

土取さんとのワーク、猪風来さんとのワーク、話を受けてから3週間、老いの身で大きな企画を背負えるのか、幾ばくかの不安があったのは事実だが、次々と現れる応援のお陰で、いよいよ私の覚悟は深まる。黒澤明監督の言葉を爪のアカでも見習いあやかりたい。悪魔のように細心に天使のように大胆に。

この企画の始まりのメールを受けたとき、正直全盛期を過ぎている私に、この未来へ向けてのあまりにも大きな企画の趣旨、意図の輪に加わっての仕事が共有できるのか、できないのか、不安を覚えなかった、といえば嘘になる。が、内なる声が私に言った。その声を打つのは気恥ずかしいのだが、明日はない、今やれることに集中しろ、無我で現在の自分で勇気をもってやれ、というような内なる声を聞いたのである。

来年のことを言うと、鬼が笑うという。だが今の私には笑われても怖いものはない。健康であれば実現できる。仲間と実現に向けて一歩一歩前進するだけである。

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