昨日午前10時過ぎから、午後2時までかかって妻と二人でサツマイモの収穫を終えた。思ったよりも立派な大きなサツマイモが多くて驚いた。大中小バランスよく成育していて、大満足であった。その事を打てばもう他にはあえて打つこともないのだが、小器晩成、老人の打つ楽しみ、五十鈴川だよりを育みたいという意気、生き甲斐は今しばらくは手放せない。
天の恵みサツマイモの収穫 |
秋真っ盛りのこの3連休、家の近所と図書館、それにお芋の収穫で過ごすことになりそうである。行楽地に妻は出掛けたいとは、ほとんど言わないし、繕い物をしたり、とにかく家のなかで過ごすことが、苦にならないタイプなので、すっかり私も彼女の生活ぶりに馴染むようになってきつつある最近である。だから以前の私では考えられないほど、行動範囲の狭い生活を、楽しむことが出来ている。
その一方、やはり私は旅好きであり、ちょっとフラり文庫本をもって風来坊になりたいという、生来の気質は多分体が動かなくなるまでは、やめないだろう。幸い妻はそういう私の行動にまで踏みいってはこないのでありがたい。(お互いが手放せない存在では在るが、自律した個人の領域までは干渉しない。そもそもまったく異なる人格なのであることを尊重し、共存するというのが、老夫婦の我が家の風通しのいい関係性である)
去年は近い外国、韓国のプサンを20年ぶりくらいに、つかの間ひとり旅をすることができて、実に有意義な旅となった。あの旅、当地の素晴らしい若者たちのサポートで、日々五十鈴川だよりに打ったので、読み返してはいないが記録として残っている。あのような気持ちのいい小さなひとり旅を、今年もしてみたいとは思うが、できるかどうかは未定である。
さて、昨日のサツマイモの収穫で思ったことだが、還暦を迎え、(そして中世夢が原を退職して)12年、よもやまさかこんなに土に親しむ生活を送るようになるとは思いもしなかった。そして、3人の孫に恵まれることももちろん思いもしなかった。
成り行きという言葉がある。18才からまるで成り行きという言葉しか浮かばないくらい、20代、30代転機の折々で、行動選択しながら、今に至っている私の人生である。なにか成り行きという言葉はよいイメージがともなわないような気がしていたのだが、いや私ばかりではなく、あの天才立川談志が、人生成りゆきという本を出されているし(読んではいない)、養老孟司先生も自分の人生は成りゆきだとおっしゃっておられたので、私としては大いに慰められている。
これから一回り12年後、私が生存しているかいないかはともかく、はっきりしていることは未知だからこそ人生は面白いのだし、先のことなど誰ひとりわからない。2023年が始まって10ヶ月が過ぎた。今年は私にとってずいぶん意外なことや、思いもしなかったことが次々と起こっている。その事を面白くいい方向にと。今年も残り2ヶ月しっかりと生活したいと思う私である。
PS 昨年秋プサンの場末の宿に近いところに市場があったので、何度もその市場で庶民のランチや夕食を一人でし、その市場で最後に買い物をしたのだが、その乾物やさんのお店の店番の40才くらいの(30代かもしれない)女性の人がとても感じがよく、あれこれ考える旅人のわたしに辛抱強く対応してくれ、商売っ気なくよい品を薦めてくれた。あの乾物やさんをもう一度訪ねたいという思いが私にはある。私の旅はガイドブックにはない。高齢者なのだから、異国への旅は春か秋にしたい。
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