土曜日、お休みの朝である。13日夕刻高松の駅のそばのカフェで、14日午後一時から、岡山は奉還町のカフェで土取さんとの打ち合わせ、そして何よりも旧交をあたためる貴重な時間を持つことができた。
1999年の出版、時代の先駆け |
高松は私だけであったが、奉還町での打ち合わせには、香川からOさん、瀬政さんと義理の息子さんのSさん、それにハレノワのWさんが(私がお声かけした)急遽土取さんにご挨拶したいということで、計5名での、打ち合わせをかねた実りの多いカフェ時間を過ごすことができた、旨五十鈴川だよりに記録として残しておきたい。
細々、長くなるからはしょるが、来年春、土取さんが再結成したパーカッショングループ、スパイラルアームの公演場所を、先ずは岡山のどこでやるのかということと、日時を決めるということが話し合われた。
その件、予定していなかったハレノワのWさんが急遽短時間ではあったが、参加され、Wさんがまだ東京のセゾン劇場でお仕事をされていたときに、土取さんとは面識があり、他ならぬ土取さんなので、一肌脱ぐことになり、ハレノワの小劇場に春空きがあれば、ハレノワでやることに、話がすんなりと決まったのである。私としては、年内に場所と日時を決めるということからスタートだと考えていたので、思わぬ展開に幸先良し、と安堵した。
来年春のスパイラルアームの公演は、名古屋、京都、岡山、香川での4ヶ所でやることが決まった。そのひとつ岡山での公演を私が引き受けることに。後は名古屋から始まるツアーとの日程調整である。全体のマネイジメントは(共通フライヤー他)香川のOさんがする。
来年秋の、猪風来縄文美術館での公演に関しては、猪風来縄文美術館が来年オープン20周年を迎えるので、その記念イベントとして土取さんと何かやりたい、と猪風来さんからの依頼企画なのである。猪風来さんの思いを新見市が日時他まったく現段階では決まっていないとのことが、土取さんから聞くことができた。春のスパイラルアームの公演はあくまで土取さんの企画、縄文は猪風来さんの企画である。
猪風来さんの企画の思いを、新見市が先ずはクリアーした後、動き出すとのことで、現時点では来年の秋の日時もまだまったく決まっていないとのことなので、現時点ではそれ以上の展開にはならなかった。いずれにせよ、土取さんからO氏を通じてスパイラルアーム岡山での公演依頼メールがきたのが、11月4日、その日からまさにあっという間に、今日がきている。
もう大きな企画をやることはないと打った矢先の、我がいい加減人生の急展開、それもこれも土取利行という稀有な人間との出会い、交友(交遊)の蓄積の上に降ってきた、ありがたい出来事として受け止め、土取さんが活動するかぎり、私も土取さんとの仕事だけは引き受ける腹を決めたのである。
土取さんが何に突き動かされて、次から次に多面的創造活動を持続する能力には、時に畏怖しおののきもするが、ありがたき事と受け止める腹を決めたときに、私らしく引き受けるしかないとかたの力が抜けたのである。
それにしても、外見は年相応なのだが、話し出すと演奏するように淀みなく言葉が溢れる。そのエネルギーの根元は謎である。芸術への見果てぬ夢、限りない愛とでも言うしかない、と言葉にしてもせんないが、言葉にして五十鈴川だよりに打たずにはいられない。ひさかた、土取さんの変わらぬ言葉のつぶてを浴びて、前向きにたたずむ私がいる。
0 件のコメント:
コメントを投稿