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2024-11-03

妻とアルバイト先に植えているサツマイモの収穫に出掛ける前の五十鈴川だより。

 昨日雨が上がったので、夕刻読み終えた本を返しに図書館に行き、新たに本を5冊ほど借り、ついでにいつも裸足散歩を(雨上がりで所々水がたまっていたが)暗くなる日没6時前までの数十分運動公園でした。裸足の老秋、清々しい気持ちになれる黄昏時の一時。

朝から夕刻まで部屋にこもっていたので、夕闇迫る天を眺めての、極楽とんぼ裸足散歩は今や私の生活のなかでは欠かすことができない。よほどの雨ではない限り、休日家にいるときは、この数年持続している。

佐藤優さんとの友情が素晴らしい

働くことも、すべてのことに言えるが、続けられるのはやり終えたときに、それなりの自分にしかわからない達成感と、(裸足散歩に達成感とはちとオーバーだが)喜びとある種の気持ちよさがあるから、続けられているのだと想う。あえてその事を敷衍して付け加えると、人間だから気持ちが上向かないこともあるし、本質的に私は怠惰であるとの自己認識がある。流されやすい。

だから、そういうときにはあえて、少々無理をしてでも、気持ちを押し上げるためにも、わずかであれ体を動かし続ける。そうすると体は不思議と動き始める。働くことも音読することも、旅をすることもすべては老いつつ体が喜ぶことしか、今の私には興趣がわかないのである。

(打っているこの部屋に、秋の朝の日差しが一気に差し込んできた。今日は文化の日であるが、アルバイト先に植えているサツマイモの収穫にゆく予定である、文化の日とは何か、改めて自分に問う)

生活のあらゆるシフトチェンジを、このところゆっくりと進めているが、分けても大きなリスクを背負う企画をするということからは、たぶんよほどのことがない限り、今後しないだろうと想う。(イベントのお誘いも古希を過ぎたので義理を欠くことに決めた、妻との時間を最優先する)

いつものように話を変える。この半世紀以上生活しながら、生きる糧として、少しでも無知蒙昧からの脱却と夢を育む読書、体が喜ぶ読書を現在も続けて来て、五十鈴川だよりではほとんど触れていない私が大好きな、人間として畏怖する、爪の垢でもあのようにいきられたらと憧れる人間に、女優であり作家に高峰秀子さんがおられる。

初めて読んだのはもう思い出せないが多分本が出てまもなくだから、私がまだ20代であったかと思う。タイトルは【私の渡世日記】読み出したら止められないほどに、波乱万丈、劇的な人生が綴られていた。とにかく自分のことではないから、読み物として存分に堪能した。以来高峰秀子という名前は、私のなかでは単なる女優ではなく、ひとりの人間、分けてもものを書く人、粋で無駄のない、つまりは文は人なりという言葉がもっともいい得ている作家として、私の胸のなかで今も生き続けている。(その上料理が抜群に上手い。そのすべての情熱は夫、松山善三氏のために作られる。なんという夫婦関係の出会いからの数奇な運命)

お亡くなりになって久しいが、松山家の養女の松山明美(養女に迎えられるいきさつがこれまた泣かせる)さんが、次々と高峰秀子さんの人間としての素晴らしさを伝えるご本を出版されている。足跡を展示する(写真展等で)イベントも定期的にやられている。(ようである)

なぜ、このようなことを突然打っているかというと、米原万里さんという作家がおられた。ロシア語の通訳者、翻訳家で、何冊か読んだことがあり、2006年の5月、ご病気で早逝されている。高峰秀子さん、米原万里さん生まれ落ちた時代も、お仕事もまったく異なるジャンルの方ではあるが、本となって遺された文章を、改めてゆっくり読むと、その素晴らしさに打たれるのだ。うまく言えないがお二人には共通する(質は違うが)独特の人間としての魅力がある。

高峰秀子さんの映画、二十四の瞳を小学生の頃田舎の映画館で見た記憶がある。亡き母が大好きな女優であった。多分同世代。高峰さんの代表作映画、浮き雲なども探して観たくなった。米原万里さんの本で、すでに17世紀にクリミアをめぐっての争い、ロシアとウクライナの複雑な歴史の一端も知らされた。

また庶民兵士にとって黒パンの重要さが、日本人の梅干しに相当するほど大切な主食であることなど、目から鱗のように知らされる。だから、老いても本が手放せない。老いてもの一番のありがたいことは、人生で出会えた、最後まで手放せない人や自分にとって大切な書物に囲まれて限られた時間を生きることである。


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