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2024-11-17

晩秋、猪風来美術館を訪ね、猪風来さんと語り合う、そして想う五十鈴川だより。

 年齢的な、たぶん疲労が体の奥から聞こえてくるが、何やらの打ちたい、打たずには余計に体が、変な疲れがたまってゆくように思え、今朝も打つ。

このような本を出されていたとは

さて、昨日五十鈴川だよりを打ち、朝食を済ませ、ひさかた訪ねていなかった、新見の法曽にある猪風来美術館を訪ねた。9時半すぎ家を出てちょうどお昼過ぎに、猪風来坊美術館につくと、猪風来さんが広い敷地の中央でたたずんで待っていた。そのたたずまいに、氏のこれまでの人生が凝縮されていた。

それから私は美術館を辞するまで、ほぼ3時間半、初めて膝を交え、猪風来さんのお話に耳を傾け、猪風来さんが、満を持して来年の秋にやる企画イベントに耳を傾けた。成り行き、あらましは土取さんから、伺ってはいたが、私としては何はともあれ、猪風来さんから、直接お話を聞きたかったからである。

(お昼、美味しい茹で玉子、美子さんお手製ののお結びをいただきながら、時おり合いの手をいれながら、ただ私は猪風来さんの念いに耳を傾けた)午後3時半過ぎ猪風来美術館を後にし家に6時についた。往復5時間の運転、現在の自分の体力も確認できた。

結果、昨日猪風来美術館を訪ねて本当によかったというおもいが、今朝私に五十鈴川だよりを打たせる。語らったことの、わずかでも打たずにはいられないが、それはまず無理だというおもいの方が先立つ。とは言うもののやはりその歯がゆさ、自分の能力のなさをいいわけにはしたくはない。

猪風来さんとの語らいの最後に、氏の造形縄文土器作品、奥さま美子さんのいま展示されている(11月1日から来年2月末まで)タペストリー作品、そして5年前あまりの若さで他界されたご子息原野さんの作品を猪風来さんに説明していただきながら、あらためて見いったのだが、その作品の放つ純粋な魂の息吹、に圧倒された、ことを一行五十鈴川だよりに打っておく。

そのひとつひとつの作品に込められた親子の縄文土器作品、美子さんのタペストリー、分けても、原野さんの遺作となった(完成してすぐ倒れられたとのこと)縄文のヴィーナスは私などの素人が見ても、あまりの造形美に、まさに時空を越えて縄文人がよみがえってきて、創ったのではないかと、思わせられた。(すべての作品に命への讃歌がねりめられている)現代人が失いつつある、命への畏敬の念の消失。

話は変わるが。猪風来さんから土取さんへ、来年秋のイベントのお話があり、そのお話が、私に伝えられるということがなければ、まず猪風来さんのお話を、何はともあれ聞くことから始めたいという、私の直感は正鵠を得たものとなったことを痛感している。

企画者の端くれとして、ささやかに可能な限りいつも続けていることは、アフリカでも、インドでも、沖縄でも、とにかく現地の臭いを嗅ぐ、土の臭いを、風を感じる。頭ではなく体で感じることから私の場合始める。

長くなるのではしょるが、年が明け、話が具体化する前に、現地で猪風来さんとお話ができたことは、有意義というしかないひとときとなった。もう大きな企画は無理だと思っていた私に、私より年長者である土取さんや、猪風来さんが、まさに命がけで生涯取り組んでこられている(こられてきた)いま現在の企画に声をかけていただいたありがたさが、今朝の体を包んでいる。

命の時間は有限である。土取さんや、猪風来さんの仕事に、少しでもお役にたつために、何ができるのかを、虚心に自分に問いながら、微力を尽くす覚悟である。

PS 企画者として、いただいた、猪風来さんのご本、原野さんの小説、資料、じっくり読み込みたい。

1 件のコメント:

  1. 日髙さんの行動は、今の宇宙に何もなかった時代からビッグバンとか言われる現象があり、140億年以上もたった今現在のプロセスのように思われます。何もなかったようですが、思いではなく、想いでもなく、念いと綴られたとおもいます。
    点であったものが、やがて線につながり、面として広がっていく様は、日髙さんの執念らしきものが燃え立つように感じます。
    協力できることがありましたら、何なりとお申し付けくださいませ。

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