ページ

2024-11-24

晩秋、お日様の日差しを浴びて、町内の溝掃除をした後、五十鈴川だよりを打つ。

 人の体、心は日々移ろい、生まれ変わり、生き返る。40才で岡山に移住して、心からやりたい仕事として、まさにやりたいことができる場所として、我が人生で巡り会えたのが【中世夢が原】である。そこで22年間も働けたことが、来年の土取さんへ向かえる、大きな支えである。

原野さんが10才で創った絵本、凄い

61才で中世夢が原を辞して丸12年、土取さんから私にとっては、身に余るお声かけをいただき、無知蒙昧であり、現世をいきる俗人の私が想うことは、40歳から企画者として一から中世夢が原で働き始め、なんとか22年、毎年様々な企画を実現してきたことの、下支えが、やはりあるからだと想う。自分が心からやりたいと思った企画は叶ってきたという、言わば根拠のない自信である。


だがあれから12年、時代の表層は全く異なっている。人工知能と人類の共生、狂気のボタン、核兵器がいっぽ間違えば発射されかねない状況があまりに不気味である。無人戦争兵器の開発競争、でくの坊の私にはあまりにも複雑怪奇な狂気をあおっているとしか思えないような、多国、地域での続く終わりの見えない戦争。

私自身の体も平和ボケしている認識がある。(だが私は戦争で他者を殺すよりもボケる平和、自由をこそ私は望む)そのような現代世界のなか、土取さんのスパイラル・アームズ、土取さん猪風来さんのコラボレーションは、まさに一瞬の閃光のように時代の閉塞感に風穴をあけ、なんとも言えない嫌な感じを照射すると確信する。その事が私を熱くする。

気候変動による、地震、火災、ゴミ、食料、人工、あらゆる人類問題山積課題、出口が見えない閉塞感の高まりが、おそらく全人類の心あるあまたの人々の心をおおっているのでは、とでくの坊は想像する。目も耳も塞ぎたくなるような、映像をいやでも瞬間瞬間見せられ続け一方的な報道を聞かされ続ける、私を含めた多くの庶民生活者の心が思考する回路が麻痺、いたずらにただ大きな流れに流されてゆく。このままでいいのか、いけないのか、何よりも自分自身が問われている。

絶望的閉塞感、出口なし時代、老人の私にとっての救いは、私より年長の孤高の芸術家、土取さんと猪風来さん、お二人との仕事を共有できるありがたさである。時代遅れ、時代についてゆく気もないでくの坊老人ではあるが、この私にとっての大きな企画が、来年無事に終わるまでは、健康で元気第一で望まねばとの思いである。

孤高の芸術家にほど遠い、孤低の俗人である私がやれることは、まず原点に帰る。夢が原で培ったことから始める。次に若い世代から学びながら、若い人たちにバトンタッチしながら、想像力を拡げ、これまでの方法とは異なる、多世代でのタッグを私は夢見る。

話は変わるが。私は夢が原で働き始めてから、夜眠れなかったことがほとんどない。70才、古稀を過ぎてからいまも、ありがたいことによく眠れる。お昼寝も入れ、ほぼ平均8時間寝ている。寝ないと私はダメである。日が沈んだらもう私の体は、まるで老人である。思考がほとんど働かない。だが不思議と一晩ぐっすりと眠れば、お日様が出ている間、特に午前中は五十鈴川だよりも打てるし、何よりも労働ができる。午前中、晩秋、初冬の日差しを浴びての労働時間は、私にとっては至福の思考時間である。動き働ける間は、土取さんと、猪風来さんとの関係性をより深め、何よりももっ謙虚に学ばねと、自省する。

今年は、11月に予定していた韓国への旅を断念することにしたのだが、12月半ば頃までには、両親のお墓参りだけはしたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿