11月4日、香川の大鹿さんから突然のメールをいただき、私のなかでは時間がまさに一気に流れて、ようやくちょっと落ち着いて五十鈴川だよりを打てるところまでは、きたという感じがからだをつつんでいる。
脱帽する猪風来坊美術館の活動記録 |
今朝の五十鈴川だよりは、先日猪風来美術館を訪ねた際のことを打った五十鈴川だよりに、ひさかたなかった匿名のコメントに対する、返信を兼ねている。私は生まれて初めて多いときには、ラインで繋がっている(ラインでは繋がってはいないが、大切な方もいる)20名以上の方々に、失礼も省みず、一斉送信なるものを試みたのだが、いまやってよかったという思いである。
一行であれ、絵文字だけであれ、20名に近い方々から、何らかのリスポンスが寄せられている。五十鈴川だよりにコメントをいただいた方を含め、私の想いや声かけに、反応してくださっている方がたにたいしての、これは私からの現時点でのお礼の五十鈴川だよりである。
企画者の端くれとして、なぜ高齢者のいま企画を打ち続けているのか。すでに打ったが、話が土取さんからのお話であり、そのご縁で猪風来家族の壮絶な歩み、まさに人生をかけて取り組まれた縄文世界探求の旅を、まさに時空を越えて、縄文人が蘇ったかのような人間に出会えたことの幸運が、企画を打たせる。一言、土取さんの企画、猪風来さんの企画を、我が事として共有し、その企画の輪に加わわりたい。(加われる幸運)
タイミングというものがある。体が脳が反応するタイミング。この年齢ならばこその反応と言い換えてもいい。もう私には何も怖いものがないのである。いまなら間に合う。全勢力で取り組める。体は高齢者ではある、がお金のことは(企画には時に家庭生活を脅かすほどの決断を強いられることがある。個人で企画するのだから)ともかく、いまの私は働いている(パートタイマーではあるが)これまでの人生でもっとも心と体が自由なのである。余裕があるといってもいい。
その私の 念いの輪を汲んでいただけるような仲間、メンバーがこのようにたくさんいてくださることが、とにかく私は心強い。老いのワクワク。これらのの仲間と共に、高い山に登る。私の肝は決まっているが、企画は一人ではできない。緩やかにこれらの仲間と、肝胆相てらしながら、様々なアイデアを持ち寄り実践し、関わるすべての仲間の情動がお互いが出会うことで、活性化する事がなんとしても大事。
肩書きや、経歴はまったく関係ない。この輪のなかに入り、何よりも自分が楽しいと思える感覚を共有できる仲間と(旧知の仲間ともきっと新しい関係性がより深く築ける予感がする)新しく私は出会いたい。
ここでいきなり話は変わる。長くなるから簡単に。共に労働して2年8ヶ月、仲間のKさんがいる。ウクライナの音楽を聴きに来てくれ、翌年の沖縄の音楽家、そして今年のマルセを生きるでは裏方として私を支えてくださったかたである。(その上チケットつきのカンパまでしてくださった)そのかたから何をしたらいいですか、とのメールをもらった。私は返信を打った。
そして昨日、私が猪風来さんからいただいた資料の数々を職場で見せると、パンフと猪風来さんのおなくなりになったご子息、村上原野さんが10才の時に書いた絵本(絵も文章も直筆、とにかく現代文明を根底から照射する、スゴい)を読みたいから貸してくださいと、持ち帰ったのである。
企画をなぜするのか。その答えの一部が私に返ってきた瞬間である。正直、今回の企画に彼が反応をするとは思わなかったし、私も無理して誘おうとは思わなかったのだが、意外といっては失礼に当たるが、本当に嬉しかった。
仕事ではなく企画に関わる一番の醍醐味は、やはり思っても見ない出来事が出会いによって生ずる、その事が私をしてきっと活性化する。この年齢でもにわかに、意外なことがわきおこる。それをして私の活性化、高齢者の贅沢時間とする。
来年の土取さん、猪風来さんの企画に向けて、県内の仲間、県外の仲間いずれも7~8人と連携、関係性を深めながらゆっくり進めてゆきたい。
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