4月最初の 土曜日の朝である。企画者復帰宣言を打ったのが3月5日、まだ一月もたっていない。カテリーナさんと指切りの約束をしたのが、3月10日、演奏会場能楽堂ホールを決めたのが3月14日、カンパの依頼をし締め切ったのが3月22日、チラシが完成し届いたのが3月25日金曜日夕刻、3月31日ラジオに出演しその日、一日で50枚のチケット予約が入るまで、何やら何がなんだかわからないくらいのスピードで、冗談ではなく飛ぶ老人感覚で、3月を乗りきった、奇妙な安堵感が今朝の私にはある。
定員120名の入場者数の目処が思いの外の早さで達するのではないかという、気がしてきたのもあるのかもしれないが、初めてちょっと休憩ではないが、なんとか前半を乗りきったので、これから本番までの後半を、静かに当日の受付や、会場のことを、これから3周間でゆっくりと詰めてゆく休日にしたいのである。
とは言うものの、今日は午前中NHKの記者のかたとあうことになっている。チラシができたので届けていたら、約束通り昨日夕刻お電話をいただき今日お会いすることになったのである。今回の企画で世代の異なるメディアのかたと会うのが嬉しいような、怖いかのような、複雑な気分もどこかに正直あるのも事実である。
それは、時代や世相とのずれとででもいうしかないいわく言いがたい感覚を私が何処かしらに抱いているからでもある。だが私はそのような思いは企画する段階で払拭することにした。企画することは出会いなのだから、新しい人と出会わなければ何事も生まれないからである。自分の居心地のいいところだけに安住していたのでは、企画者とは言えないのだ。老いたりとはいえ企画したのだから、荒海を漕ぐ覚悟を、とまあおもうわけなのだ。
可能な限り私のおもいを伝えるべくメディア回りをした結果、お話を聞きたいと、一枚の名刺を置いてきただけなのに、反応してくださった方なのだからどこか嬉しいのである。正直かなりくたびれているが、気持ちのいいくたびれを私は生きている。
思わぬ小さなよきことが次々に起こって、そのいちいちを打っている時間がないほどなのである。幸い実によく眠れている。私は寝ることが好きである。だから今日もこうして立ち上がり、元気に五十鈴川だよりをうてるのだ。安穏とはしていられないといった思いがやまない私だが、どこかでゆったりと脱力しながらゆかないと、長い距離は歩けないのだ。
戦火の音がやむまでは、トボトボ歩きながら、思考しながら、人に会いながら、青空を眺めながら、自分と対話しながら謙虚に進むだけである。
0 件のコメント:
コメントを投稿