ほぼ一週間を前にして、ほとんどの24日の演奏会の準備を私はともかく、妻が当日の進行表を作ってくれ、それを受付や会場作りのボランティアスタッフに送り終えることができた。あとは本番を持して待つだけである。
野暮を承知で少しだけ打つが、毎日ではないが妻はまだ働いている。その合間をぬって そばで24日に向けてあれやこれや、このところ知恵を絞る姿を目の当たりにして、長年連れ添ってきてあらためて想うのは、我妻は仕事が出来る人なのであるということだった。
初めて手にしたウクライナの詩人 |
当日を除いたら、若干のチラシ配布以外、ほとんど家族でことを進めることができたお陰で、緊急企画をここまでの早さで漕ぎつけることができたことは間違いない。まだ終わってはいないが、10年ぶりに企画のスイッチが入ったことで、おおよそこの2ヶ月近く、責任が伴うことを発心したがためにギリギリの判断、決断の繰り返しで、私の精神と体は嫌でも活性化せざるを得なかった。
正直、不安がよぎらないことがなかったと言えば嘘になるが、今もだが、その度にウクライナの民のことを、子供の顔、孫の顔を思い浮かべ叱咤激励、己に今もカツを入れている。多くの方からお便りで、電話で、メールでお疲れのでないようにとの温かいお言葉をいただいている。
確かに疲れてはいるが、変な疲れではなく、気持ちのいい疲れなのである。よく眠れるし、起きてしばらくもたたないのに、このように五十鈴川だよりをうち続けられる、のも不思議である。先日も打ったと思うが、一見表面は異なるかのようにも写るが、企画をするのも肉体労働をするのも、本質的には同じことをやっているというのだという自覚が私にはあるし、その事がまた、どこかで現在の私自身を支えている。
ささやかに企画することも、草を刈ったりすることも、多少は自信があるし、きっと好きなのである。好きこそ物の上手なれというが、私がいろんなことを思い付くのは、体を動かしているときか(行脚歩行も含む)、寝起きか、真夜中の闇のなかでの沈思黙考時間帯である。
この思い付くことの喜びは、なに事にも代えがたい。退職した際に思い付いたシェイクスピア音読を再びやろうと思ったときもそうだったのだが、なにかを手放すときにいつも私が思うのは、それまでのことをしっかりとやっていれば自ずと、次のステージがどこかに用意されているということである。
コロナでいきなりシェイクスピアの音読が叶わぬことになったとき、残念ではあったが、これまでの人生で、もっともっとの困難を潜り抜けてきた経験が私をささえたのだ。災い転じてではないが、生きている命を大事に人にどう思われようが、こつこつ自分を信じて歩んでいればどこかの誰かが見ていて、手を差しのべてくれるということの重みを、今回ほどおもい知らされてていることの感謝は例えようもない。宇宙のはたてに向かって静かに手を合わせる。
話を変える。コロナ渦中昨年7月に生まれた孫の動画が定期便のように次女から送られてくるが、その成長には目を見張る。老いつつある渦中の今、孫たち未来の世代のことを、今回の企画は嫌でも考えずにはいられない。何が出来るのかできないのか、思考し続けないと次なる何かは微笑んでくれないだろう。
一昨日、Kさんが選んでくれた、当日ロビー閲覧コーナーに展示する、ウクライナに関する書籍(主に絵本)のリストの一部を図書館に行って借りてきて読んでいる。みんな初めて手にする本ばかりである。これがまた素晴らしい。思い付いたが故の果報である。企画しなかったら、ウクライナが生んだ偉大な詩人シェフチェンコの詩集を手にすることは、なかったかもと想うと、企画することの重み、ありがたさを実感するし、シェイクスピアで鍛えた音読で、声に出して読みたいという虫がうずくのは、老いてみてこそわかるというしかない世界へのお導きではないかと思える。
ロシアが生んだ偉大なチェーホフ、ウクライナが生んだ偉大なシェフチェンコ、音楽も含め芸術や大地は地続き、国境はない。お日様、雨は巡りめぐってすべての作物を育て全世界の民の胃袋を満たす。自分だけが、自分の民だけが、幸せであればいいのだという発想は愚の骨頂、野暮の極み、笑顔の民が存在しないような国を、音楽や素朴な歌を歌う、歌える民がいないような国を私は旅しようとは思わない。平和は厳粛でかくもありがたく尊い。
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