昨日は何やらと目まぐるしい一日となった。それは予期せぬ意外性に満ちた喜びに満ちた、だが一方で物事はそう簡単には行かないのだと言うことを、今更ながらに知らされることにもなった一日となった。
先日ラジオ出演したあと予約の電話が一段落したあと、朝日新聞岡山支局の記者からチラシをみて、お話をうかがいたいとの電話を受け、午後支局に出向いてわずかな時間ではあったがおもいを伝えた。その2日後である昨日、チャリティー演奏会告知の記事が出たのだ。
電話予約は午後2時から7時までと記していた。私のスマホに2時から続々と電話が入り始め、結果3時間でこれまでの予約と合わせて、100枚を越えたので、いったん予約は昨日で止めることにしたのである。
情報を何らかの形で素早くキャッチして反応し、予約をくださる市民のかたがこんなにもいてくださることにちょっと驚いたが、嬉しかった。わずか3日間で70枚もの予約が入るなんてことは思いもしなかった。コロナ対策での入場制限が恨めしかったが、致し方ない。
ところで、昨日私は午前10時半からNHK岡山放送局のH記者の取材を受けていたのだが、昼食もそっちのけで、はなしこんでしまい、思わぬロング取材となった午後2時から予約電話がなり始めたので、取材はお開きとなり、後日我が家でインタビューを受けることになってしまった。
まだ山陽新聞の告知記事も出ていないし、NHKの取材インタビューも放送されていないのに、すでにチケット100枚も予約があり、当日キャンセルがあったとしても、今後を考え20枚は残しておかないとまずと言う判断で、電話予約は止めたのである。
長々と綴ることは避けるが、どこかで区切らないと、企画はできない。予約の方々の熱い吐息が私に伝わり、私の体までが熱くなった。ウェブではこうは行かないだろう。一昨日の夕刻福山にすむMさんからも、よく企画したとの熱いエール電話をいただき、10年ぶりの意外な私の企画がウクライナの音楽家、カテリーナさんの演奏と歌であったことに、とても感動されてのわざわざのお電話だった。私としてはこれから本番までのあれやこれやを、乗りきってゆく元気がいただけるお声で、ただただありがたかった。
気の弱い私であるが、時に自分でも信じられないほどに大胆な行動をしてしまうことがあるのだが、それがなぜ心から発動するのかは、自分でもわからないのである、それがAIとは異なるところかもしれない。謎があった方が楽しい。わからないからこそ楽しく生きてゆける側に私はすみたい。
理由も、秘密もない。好きなものは好き、苦手なものは苦手、嫌な感じは嫌な感じで、ただそれだけーっと。歌の文句と同じなのである。このようなアクションを起こすと、まれに嫌な感じの電話もあるが、これは浮き世の定めと、ちょっと浮世離れした自主企画者は【古希迎え・老いの血灯り・ウクライナ・かの地を想う・春の夕暮れ】を生きている。
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