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2022-04-23

ウクライナが生んだ国民的詩人、シェフチェンコの詩を翻訳した藤井悦子さんの記事を読み想う夜明け前。

 昨日の朝刊を開いたら、いきなりウクライナの【国民的詩人シェフチェンコ】について書かれた大判の記事が目に飛び込んできた。今回の企画で私はこの詩人の存在を知り読んでいる最中だったので、すぐに読んだ。

翻訳者の藤井悦子さんへのインタビュー記事である。今年79才になられる藤井さんが、シェフチェンコを知ったのは、なんと19才であるととのことである。そこからまるでとりつかれたかのように、シェフチェンコの詩にとりくまれ39才にして大学院に復学、翻訳に挑む、苦節十数年のはて、シェフチェンコ詩集を出版したのが1993年、藤井さんは50才を過ぎていた、とある。

藤井悦子さんの記事

帝政ロシア時代に農奴の子として生まれた、ウクライナが生んだ偉大な詩人シェフチェンコのことを、私はまったく知らなかったが、たまたま今回の企画でウクライナが生んだ、民族の独立と尊厳の象徴であるシェフチェンコのことを知ることができたことは私にとって本当に大きいと、今五十鈴川だよりを打ちながら思い始めている。

こんなにも激しく肺腐をえぐるように、叩きつけるように、あまりの不条理を言葉で表し、まさに民族の誇り、魂を刻み付けた詩人の存在を初めて知った。シェフチェンコの詩はなんと今を生きる現代の異国の私にも限りなく勇気をあたえてくれる。

人間の尊厳とか、うんぬんかんぬん、現代でもよく聞く言葉ではあるが、私などはその言葉を聞くたびに、なにがしかの空しさに教われること度々であった。だがシェフチェンコの詩の言葉には度肝をい抜かれるかのような、真実の叫びが、悲しみが、痛みがつきせぬ泉のように溢れていて、老いつつある今の私の胸を打つのである。

死を賭して人間としての尊厳を、言葉でうち綴ったこの詩人の存在を、今回の企画で知り得たことの幸運を、五十鈴川だよりをうちながら噛み締めている。真の詩人の言葉は弱者に限りない勇気を与えてくれる。シェフチェンコの詩は苦境にあるすべての人に勇気と希望を与える。すごいとしか言いようがない。コサック魂が炸裂している。

今後、私は生きている限り手元に置いて繰り返し読み、音読したい。シェフチェンコの言葉は私の弱い精神を鼓舞してくれるに違いない。

それにしても、このような詩人を産み出すウクライナという風土、民族性に鋭く感応し翻訳して詩集として出版してくださる、藤井悦子さんという存在に私は深く感動を覚える。こういう地味としか言いようがない立派なお仕事をされている方が、おられるということに、限りなく敬意を覚える、のだ。

お金にもならない仕事に生涯を費やし、翻訳して伝えてくださる方の存在にたいして私は深く頭を垂れる。手術後、以前はあまり感じなかったことに、気づき始めている自分がいる。その事がたぶん企画をさせているのだと想う。企画は企画を生み、出会いは出会いを生む。ちょっと恥ずかしいが、それは老いつつも生まれる新しい自分との出会いでもある。

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