昨夜、チケットの手売りと予約枚数を集計したら、すでに80枚近くになっていることが判明した。昨日の朝RSKラジオに10分間近く出演したあと、7人くらいのかたから立て続けて予約が入ったのだ。それと私が中世夢が原で企画をしていた頃に私を応援して下ったかたがたに、郵送したチラシが届いたのが重なって、一気に一日で50枚近い予約が入ったのである。
まだチラシが出来て一週間である。これで新聞記事が出たら、多分客席は満席になるだろう、と言う気がしてきた朝である。だがどこか手放しでは喜べない複雑な思いが、私のなかにはあるのだが、そのことを説明しようと思うと、また言葉を打たねばならないので、控える。
ただ、昨日お電話をいただいた方々のお声が、皆さん真摯にウクライナのことに心を痛めておられる様子が伝わってきて、企画したものとしてはこの上ない喜びの一日、3月31日の出来事として忘れられない一日となったことは、五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。
まるで静かな波紋が飛び火して、誰かから誰かに水面下で静かに伝わってゆく、まさに中村
20数年前ガンジス川で撮った一枚 |
先生がいうように、信念をもって行脚すれば伝わるかたには伝わるのだと、教えられている。
生きている間は、希望を持たねばならない。昨年夏コロナ渦中に生まれた孫の、邪念のない笑顔にコロナ後を見据え、何をすればいいのか何ができるのか、問い続けていたのだが、その思いの渦中、ウクライナで戦争が勃発した、一気に老いゆく私の血が、企画者としての血が10数年ぶりに騒ぎだしたのである。
今日から4月、桜満開の春である。一日も早い停戦を願いながら、この一月近く五十鈴川だよりを打ち続けているが、相も変わらぬようなことしか打てないが、できる限り細き流れの五十鈴川だよりがよどまないように、無理しないで停戦の知らせが届くまでは、4月も打ち続けたい、毎日ではなくとも。
暫し、4月24日までは、頭のなかがどこか落ち着かないが、一旦アクションを起こしたら終わるまでは責任をもって日々を歩まねばと言う思いで、五十鈴川だよりをうちながら、今日やること、やれることを青空の下で思考してゆきたい。なにか心に残るチャリティー音楽会になることを願って。
ところで、ウェブは声が聴こえない、数日で20枚近くの予約をいただいたが、ウェブでの予約は閉じることにし、残りの枚数は電話でのみ受けることにした。手うり行商も終わりである。今日からは当日会場でやることに頭をシフトしてゆくことになる。チラシがかなりあまりそうなのでどうしようか、嬉しく思案している。決して無駄にはしない。なにか考えたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿