昨日夕刻のNHKの番組もぎたてで、私の今回の企画ににたいするおもいを取材してくださったF記者のリポートがオンエアーされた。25才の女性が取材してまとめたとはおもえなほどにきちんとした問題意識をもって、今回私がなぜウクライナなの音楽家を岡山に招いて演奏会を開く動機がきちんと短い時間の中にきちんとまとめられていて感心した。
昨日の朝も打った気がするが、編集力、構成力のちからもさることながら、なによりも時間をかけて丁寧に取材を重ねて、手を抜かずに作られていたのが伝わってきた。いっぱいお話ししたことが凝縮されていて、本当にありがたく嬉しく、共に画面に見いった妻もいたく感動していた。まだ若いのにね、と。
たった一枚の名刺を局に置いてきただけなのに、F記者が鋭い問題意識で反応することがなかったら、このようなおもいの伝わる映像報告はできないのだから、私の話の中から切り口を探しだして、父の残した文章の一部がアップで映像となって写し出され、現れてきたときにはなんとも言えない気持ちになった。
オーバーではなく、10年ぶりとはいえ、企画者として唯我独尊的な企画を、思い付くままに続けてきた私だが、初めて今はなき両親に、未来を委ねられる人間的な良心を失っていないF記者との出会いを、墓前に報告したいと思う。
妻が作ってくれた |
記憶にないとはいえ、両親と共に引き上げてきて、いまも元気に生きている姉と兄にも見てもらうことができることも嬉しい。放送後、とある友人から家族の歴史ですねと、メールをいただいた。もうこの年齢だから臆面もなく打てるが、若い頃の私は先行きの見えない泥沼のような生活を余儀なするしかない、出口なき世界を長いことさ迷っていたのだが、厳しいと言う他はない父親の教えを12歳くらいまで受けたことが、今となって思うのは、その厳しさゆえに頑張れたのだなあ、という感懐を持つ。
今のウクライナでの困窮者と、先の大戦で命からがら引き上げてきた来ざるを得なかった人々、突然平和な日常が陰惨な極まる状況に、命を脅かされる状況に陥る身を切られるような苛酷さは、経験したものでないと永久にわからないだろう。
だが、そういう歴史の痛みに、F記者のように想像力でもって果敢に挑む、若い感性の持ち主と出会えたことは、10年ぶりに企画して本当によかったことのひとつにあげられる。どこか波動が合い世代を越えて語り合える喜び、嬉しさを私は久しく感じたことがなかったのである。
F記者とは、演奏会を終えたらお鮨を食べにゆく約束まですることができた。彼女の方からまだまだ話したいことがあるとまで、いってくれた。私も私のささやかなこれまでの経験、お恥ずかしきあれやこれやを経ての今の生活を、彼女になら吐露できるかもしれないとさえ、思えるほどである。繰り返し打っておきたい、企画とは生きていることを寿ぐ出会いである。
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