朝湯を浴びて後の五十鈴川だより。世の中の流れには、一定の距離を保ちながら、でもどこかしらで繋がりながら、限りなくどこか、マイノリティの側から、大きな流れには乗らず、ささやかに存在する、企画者でありたいと、常ずね考えている。
ことさらに定期的には、企画しなくても、どこかで企画者の心というか、魂というか、言葉では伝えられないおもいを、伝えたくなったときに、勇気をもって企画できる人間で在りたいと、改めて今回の企画で私はおもいを新たにしている。
イランの音楽家にいただいた |
媚びない、安売りしない、かといって硬くはなりたくない。どこか根を張りながら、柳に風のような企画を、熱い思いが自然に無理なく流れるような。そのような境地に今私はなっている。この感覚を持続するためにも、忘れっぽい私は自分を戒め、五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。
たぶん今回の企画で、何度も打っているが、自主企画は最低限の諸経費が絶対的に必要ではあるが、充分な条件ではない。何よりも必要なのは、やはりどうしても企画したいという強い思いである。なにしろ実現するまでには、あれやこれやの手続き準備、交渉、手間隙をかけての、粘り強い根気がいるのだから、この年齢ともなるとあだやおろそかには企画はなし得ないのである。
ではなぜ今回のような企画が叶ったのかを、自己分析する趣味は私にはない。すでに何度か打っているように、秘密はなにもないのである。ただひとつ今回清水の舞台から飛び降りるかのような企画を打てたことで、改めて学んだことは、心から念じればおもいは届くという厳粛な事実である。
読んではいないが、存在の耐えられない軽さという小説のタイトルがある。人類の行く末の漠足る不安感が、日本という風土にからめとられてしまっている私には、どこかクライシス感覚が弱いのだが、そこが企画者としての私の弱点だと思っている。
ウクライナや、シリア、アフガニスタン、スーダン、ソマリア、ミャンマー、エチオピア、パレスチナ、ウイグル自治区、・・・・。等々とてもではないが世界のクライシスエリアのおぞましき惨状を、皮膚感覚で想像することは、まず不可能である。
だが、なぜこんなにもウクライナで勃発した戦争に、自分を含めた多くの日本人が熱く反応しているのかは、ようとしてわからない、のだ。確実に言えることは、反応してしまった自分がいるということだけである。そしておもうのだ、終えてまだ一週間もたっていないが、ウクライナという国が生んだ歌姫の演奏と歌を、たまたま企画できたことの幸運と喜びは、ささやかな自信となって、次なる企画に向かっての希望をともすのである。
長くなるし野暮なことはあまり打ちたくはないのだが、一枚のチケット、仮に3500円とする。200人来てくださったとする。ことさらに協賛やカンパを集めなくても、チャリティ演奏会と銘打たなくても、時間や手間を最小限に押さえ(もう毎回これが最後という気持ちで企画する、人生は短いのだ)チラシ、と口コミ、メディア、SNS、等でPRし、毎年花が咲くような企画が打てるのではないかと(仲間がいれば)私は夢想する。ドリームオブパッションである。(時代の足音に敏感な市民が存在する街なら可能だと想う)