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2017-03-09

竹韻庵の蕗のとうで、春野菜ラーメンをいただく。

今日午前中、竹韻庵にいつものようにちょっとだけ出かけた。ほぼ一週間ぶりくらいにオーナーのS氏と共に、無駄話などをしながら、二人で雑草取りを楽しんだ。(S氏も何やら今年はよく体を動かしている)

竹韻庵の敷地に、ほぼ一直線の路を造りたく、その路の上と下の笹野根と雑草の根を除去すべく冬の間の作業として自分に課しているのだが、このペースでゆけば暑くなる前には草のない一本の路が、竹韻庵にできそうである。

まったくの自己満足的な作業なのだが、自分の体に一本芯が貫通するみたいで、体幹づくり的な意味合いがやっているうちに生まれてきた。

声を出すこともそうだが、何回も同じ言葉を繰り返し声に出して読み続けていると、思わぬ声が出てきて、内なるわが体が喜びだすというわけである。

様々な日々の湧いてくる雑念を(これが生きているということだと思う)抱えながらも、淡々と反復繰り返し作業を、続けていると、何やら体のどこかに浄化作用が起きるのである。

けがの功名ならぬ、雑草取りの効用である。もういい年齢であるのだから、もうちょっとできそうだというところでやめて、次の日のために余力を残すように最近はしている。

先は長いのだから、ちょっとづつ、しかし 続けるということが肝要である。漸くにしてわが体から余分な力みのようなものが、抜けつつある。

要は、わが体を年齢的に甘やかさず、しかし無理はしないといったところか。弱い生き物は、それなりの知恵と工夫を、倦まずたゆまず最新の注意をはらわないと、大きな力に飲み込まれてしまう。
天然の春を告げる味

もういやというほど何度も書いているが、その日を、つまり今日を穏やかに過ごせる健康な体というものが、私の全存在、全財産、なのである。

ところで竹韻庵はふきのとうが群生している。S氏が今が旬なのでと、教えてくれたので20個くらい持ち帰り、お昼のラーメンに3個ほど刻んで、小松菜やホウレン草と共に食したのだが、なんとも言えないえぐ味が口の中いっぱいに広がり、ひとりごちた。

S氏とも話したのだが、今年からは山野草をもっと学び、果敢に食べてみようと思う。人工的に作られた野菜とは、まったく異なる自主独立の自然に鍛えられた味は、黄金の命そのものである。

下手なサプリなど私には不要だ。大いなる大自然の天然サプリこそが、これから私が求めるものだ。

さて、今日はこれからカルチャーでリア王を読むので、誰もいない家でしばし口を動かし 出かけますので本日はこれにてお開き。

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